先日にブックオフで購入したフォースターの「民主主義に万歳二唱」を手に
しています。この本をかって所有していた人は、どのくらい読んでいたのであり
ましょう。
有名な「私の信条」という文章のところは読まれたあとが残っておりました。
どうしてこのフォースターのことを知ったのかと思って加藤周一さんの文章を探
してみましたが、著作集2に収録されていまして、久しぶりにそれを読んでみる
ことになりです。「E.M.フォースターとヒューマニズム」というのがその文章で、
初出は岩波「世界」1959年2月号でありました。
せっかくフォースター関連の本をひっぱりだしてきましたので、それをパチリ
です。(たぶん、このほかにも小説があるはずですが、それはまたの機会に)
本の帯には「個人主義とリベラリズム」とありますが、それに加藤周一さんが
いうところの「ヒューマニズム」というのを加えたら、フォースターというか、
当方などが仰ぎ見たヨーロッパ知識人像となるのでありましょう。
近年はえらくこけにされている過去のヨーロッパ知識人のですが、本当にそう
なのか、ぞんざいに取り扱っていいのかなと思うことです。
フォースターの本をパラパラとめくっていましたら、「二番目に偉大な本では
ないだろうか?」というエッセーが目にはいりました。
書き出しは、次のようになります。
「トルストイの『戦争と平和』が西欧文明が生み出したもっとも偉大な小説である
ことはたいていの人が認めるところだろう。二番目に偉大な小説はどれだろうか?
マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』だと思う。」
この文章は1943年に発表されたものとのことで、「失われた」が完結した
16年後のことです。プルーストの小説がトルストイに次いでというような評価
となったのは、いつ頃からのことであったのかわかりませんが、フォースターが
このように書いたのは、すくなくても英国の読者には影響を与えたのでしょう。
この6ページくらいのプルースト論がとっても参考になることで、「とても
だらだらとしているように見える」小説の読み方を教えられることです。
「プルーストに取り組むときは、忍耐強く聡明であることが大切だ。彼は愚かさ
にはまったく譲歩しない。作家のなかには譲歩する人がいるものだ。・・・
プルーストは譲歩しない。知性と感覚を絶えず目覚めさせておくことを彼は期待
するのだ。彼は個人主義者であり、病人であり、少しばかりスノッブであり、
退廃的な社交界の一人であり、社会改革にはなんの関心もなかった。
そんな男がヨーロッパで二番目に偉大な小説を書いたなどと言っていいものだろ
うか?私はあえてそう言いたいのだ。」
なるほどなです。