本の山とけものみち

 もちろん、部屋はすっきりとしているのが一番であります。居間に本を詰めた
ダンボール箱がおかれているのをみると、それを見慣れている(はずの)姪で
さえも、引っ越しでもするのですかとつっこみをいれてきます。すでに家を巣立った
息子たちの部屋は、本の置き場となっていて、たまに帰省しても、自分の部屋で
あったという実感がもてないのだそうだ。
 そんな家の状態でありますから、家人は友人を自宅には招く事ができないとこぼしが
はいります。しかし、このくらいでくじけていては、本の山は築けません。
もともと、本の山を築くのが目的ではないのでありました。いつから、こんなことに
なってしまったのでありましょう。
 まだ学生であった70年秋に学生下宿の四畳半一間でくらしていたときに、次の
文章を読んで、「そうだ、このように生きなくては」と思ったのではありますが、
現実はすっかり違っていて、そのことを恥ずかしくも思っていないのが問題であり
ます。
「 美しい部屋だった。これは今日に至るまで、わたしがそのなかに座った日本の
部屋の中で、最も美しいものの一つだ。といって、贅沢というのではない。その
正反対である。・・・主人公は入り口から書面の壁を背に学生みたいな木綿の紺がすり
の着物をきて、正坐している。そのうしろだったか、二段ほどの低い本棚があるが、
そこには、本はほとんどない。・・本棚がいっぱいになるようなことは、その後の
数十年尾見聞を通じて、一回か二回しかなかった。むしろ棚には、数冊しか置いて
いないのが通則で、それが高校生の私には、すごく魅力的に見えた。
 私も実は本をたくさん置いておくのが大嫌いで、少したまりだすとすぐ整理したく
なる。重苦しくていやなのである。・・とにかく一カ所に重苦しく、うず高く
本が積み重なりあい、たちならぶ姿をなるべく見ないですむように心がけている。」
 ( 吉田秀和 「吉田一穂のこと」 ソロモンの歌 によります。) 

 吉田一穂という家族にとっては迷惑きわまりないような詩人がくらす部屋を
美しいといわれても、これはなかなか賛成しくいものであります。すっきりと
した美しい部屋にすむ詩人は、蔵書のことで家族に迷惑をかけることはすくな
かったかもしれませんが、それ以上に家族には迷惑な存在ではなかったでしょうか。