馬淵美意子のすべて 7

 本日に片付けをしていましたら、菅野昭正さんの「詩の現在 12冊の詩集」がでて
きました。この批評集は、「文芸季刊誌『すばる』から、新刊の詩集を対象にして
エッセイを書かないかというすすめを受け」てできたものだそうです。スタートは
1969年の夏頃とのことで、それから3年ほどかけての12冊ですが、女性の詩人は
馬淵さんただ一人です。(ほかの詩人は、西脇順三郎渋沢孝輔渡辺武信、吉増
剛造、飯島耕一、岡田兆功、入沢康夫、粒来哲蔵、清水あきら、大岡信、吉田一穂
という方々です。)
「その時々に刊行された詩集を自由に選び、それを手がかりにして、詩についての
考えを自由に述べる」という形式となります。
 菅野さんは、「馬淵美意子のすべて」を手にして、馬淵さんの詩について「叙情
の誕生」というタイトルでエッセイを書いています。
 菅野さんが冒頭で話題とするのは、彼女の代表作となる「つりがね草」という詩
であります。(先日にリンクを貼った方も、この詩を紹介していました。)

「 つりがね草    

野かぜがわたると
また ひとしきり鐘がなるのです。
溢れながら はやそこかしこ病む緑の上へ
ふりやまぬ長雨に しなひ
うす紫に 幾むれの余韻がゆれるのです。


あなたが もし
何ものの囚人(めしうど)でもないとおっしゃるのなら
ゆきずりの心さへ ここでは
空遠く谺するかなしみをお聴きになるかも知れません。
ぬれそぼつ 花のむなしい鐘が
また ひときは むらさきをこぼし
頼めぬ明日の時のなかへ消へてゆくのを。


けれども
我執にとらはれた心に弾ね返される響きが
かたわな知恵の不吉な落し子
この たれこめて厚いあま雲を裂き
あの 深い蒼天を貫いてゐないと だれがいへませう。


そこでは
悠久を溶ろかしてゐる太陽が
かぶせられた僧帽の
その呪はれた輪を はみ出
傷つく光背をふるはしてゐるのです。  」

 菅野さんのエッセイの冒頭は、次のようになります。
「この詩人にとって、歌うことはまず見ること、聞くことからはじまる。そのとき
見られ聞かれているものは、嘱目の狭い範囲のなかに偶然うかびあがってきた小さな
何気ない風物であることもあり、あるいは身近な見慣れた風景の断面であることも
ある。」
 なかなか難しい書き出しであります。