大阪留学の記 6

 昨日に小出楢重随筆集から引用している時に、「浄瑠璃」という言葉が「浄るり」
となっているので、わざわざひらがなにしてなんのこだわりであろうかと思って
おりました。
「大阪で発祥した処の浄るりを東京人が語ると、本当の浄るりとは聞こえない。」
という具合です。小出楢重の時代にあっても、「大阪で発祥した処の浄るり」に
ついては、仮名まじりで表記となっていたようです。漢字で表記する「浄瑠璃」と
「浄るり」はどう違うのでありましょうか。これなど、今月の「サライ」の文楽
特集をみたらでていそうでありますが、特集の頭にある「竹本住太夫」さんへの
インタビューに、それについてのヒントがあるかなと思ってみてみましたが、
ここには漢字表記しかでてこないのでありました。
「脇目もふらず、ひとすじに励まんことには、どうにもならんほど不器用なんです、
私。好きでやってる浄瑠璃ですけどな。好きこそものの上手なれと言いますが、私の
場合、下手の横すきですなあ。」
 インタビューした人は、そのまま記したのでありましょうが、もうすこし、
この方の語りの雰囲気が伝わってきましたら、よろしいのにと思うのでした。
「住太夫」が言うとしたら「繞るり」と表記となるのでありましょうよ。 
岩波上方芸能事典には、なにか手がかりはと思うのですが、ここには、竹本義太夫
項目のところに次のようにありです。
義太夫の語りは現代風という意味で『当流浄瑠璃』と呼ばれ、着実に人気と評判を
集める。やがて他の流儀の浄瑠璃は衰退、上方で浄瑠璃といえば義太夫節を指すように
なった。」 
 上方芸能事典はていねいに見ましたら、それへの言及があるのかもしれませんが、
とりあえず、すぐにはわかりませんでした。
 このような疑問が、山川静夫さんの「綱太夫四季」(岩波現代文庫)を開きますと、
たちどころに氷解するのであります。これはすごいと感じました。
かって、小出楢重が「浄るり」と表記するに意味がないわけがないのでした。
 山川静夫さんの同書10ページには、次のようにありです。
「大阪は浄るりの町である。
 浪速の男女は、そのまま浄るりに登場する人物であり、その会話はそのまま義太夫
のことばである。・・・
 老舗を重んじ暖簾を大切にする大阪人は、邦楽の中でも最も伝統のある義太夫
自分達の生身の体の中で存分に消化し得た。
 浄瑠璃ジョールリとアクセントを平板に言えば邦楽の語り物の総称だが、大阪
弁で、浄るり、ジョオルリと頭高のアクセントになれば、これはもうはっきり義太夫
ことである。
 大阪の人々は江戸の清元や常磐津といった浄瑠璃には耳をかさず、ひたすら義太夫
浄るりを愛し続けてきた。」
 山川さんの著作の冒頭で漢字の『浄瑠璃」と大阪の「浄るり」について、きわめて
わかりやすく説明が行われています。これをみますと、このあと、大阪の「浄るり」と
いうのは、頭にアクセントで発声するのだとわかります。
 サライインタビューで住太夫さんが、この言葉を発するに頭にアクセントで発したと
しか思えず、その時は、語り物の総称である「浄瑠璃」ではなく、義太夫である
「浄るり」のことをいったのですから、そのように表記にこだわると、住太夫さんが
「竹本」と名乗ることの意味合いも、もっと、くっきりとしたのにです。