三が日に当方の兄弟が老母を囲んで新年会というのがならいとなっているの
ですが、昨年は当方がインフル罹患のために中止ということになってしまいまし
た。
ことしこそはであります。今年は老母は年女(96歳)でありまして、その誕生会も
兼ねることになりました。北海道内に住んでいる家族が総勢12が母の家に集まり
ました。
普段は施設で暮らす母の留守宅を預かる当方は、本日はホストかわりでありま
して、駅までの送り迎えから、食事だしや写真撮影まで大忙しでありました。
帰りには当方がつくった粉モンギフトをお土産にし、本日不参加の家族にはライン
で集合写真を送信したりすることになりです。
なんてぐだぐだと記しているのは、朝からこんなに忙しかったのだから、本を読
む時間なんてなかったですよということにつながるのですね。
昨年の年明けは連日ふとんのなかで何もすることができなかったので、本を読ん
ですごしていたのですが、今年はあれこれとやることが多くてまとまった時間を
とることができないのです。
そんなことで、本日これまでの時間に手にしていた本は、駅にむかえにいって、
駅からでてくるまでに、車中で開いていたもので、それは次のものです。
ずいぶん前に購入したはずですが、どういうわけか未読でありました。
岩阪恵子さんが小出楢重の作品世界を大阪の言葉で描いた作品。それこそ
昔の大阪のまちなかの言葉となります。今はビル街になってしまって、ほとんど
人は住んでいない(マンションは除いて)あたりですが、昔は商家とかがあった
のでしょうね。
谷崎があこがれた良き大阪言葉でありますよ。
小出楢重は明治20年生まれ、その母親の語りを岩阪さんは、次のように表記
します。
「あきまへん。なんぼ石濱はんが言いはっても、これだけはふんふんてきくわけ
にいきまへん。学校でずっと日本画やっててくれたらええのに、父親が亡うなっ
たら西洋画なんぞへかわってしもうて。親不幸な子や。日本画やったら、団扇の
絵なと描いて売れますがな。そやけどこんなけったいな絵、どにもならしまへん。
金をかけるずつ下手になるんやさかい 」
当方が若かったころには、花登筺さんのドラマなどで船場を舞台にするもの
がありましたが、それの登場人物さんは、このような話口調でありましたね。
今でも松竹新喜劇の舞台では、このようなセリフがかわされているのでしょう。
それにしても、よしもとと松竹は、どちらも新喜劇といいながら、その世界は
ずいぶんと違うことです。
本日に読んだところで目をひいたところ。
小出楢重の画業を支援するために、小出の出身中学 市岡中学の同窓生が
十人ばかりで毎月二十円ほど援助したのだそうですが、そのメンバーの一部
に次の名前が。
「その仲間の中心となったのは、東洋言語学者の石濱純太郎、音楽家の信時
潔、実業家の津田勝五郎らである。彼らはのち四年半にわたって経済的援助
をつづけ、楢重を見守りつづけた。」
当方の目を引いたのは、作曲家の信時潔さんの名でありました。