作家の岩阪恵子さんが「図書」10月号に「阪田寛夫さんについて」という文章を
のせています。岩阪さんは大阪の生まれで、大阪を舞台としたものや小出楢重に
ついての作品を発表していますので、阪田寛夫さんの作品世界についても親しんで
いるかと思いましたら、この文章の冒頭には、次のようにあります。
「 阪田寛夫さんについて、いつか書いてみたいと思っていた。いまその思いを
ほんの少し果たせそうである。といってもわたしは阪田さんと特別な交流が
あったわけではない。お目にかかったこともなければ、話をしたこともない。
いただいた一通ずつの手紙と葉書を大事に抽き出しにしまっているひとりの
怠惰な読者にすぎない。」
作家として評価を得ている岩阪さんでありますが、生活のほとんどは主婦としての
時間でありまして、清岡卓行さんの妻、こどもの母親としての役割を優先していま
したので、他の作家と特別な交流ができるわけもありません。
「書かれていることはやたら暗いのに、軽妙というのとも違う、この奇妙に
まったりとしたというか、ふうわりとした印象はなんだろうと考えはじめていた。
肉親の闘病のありさまと死、見守り振り回される著者も含めた家族のあたふたする
さまをよくもここまでというほど克明に描いて、それでいて読み手に胸がつかえる
ような重苦しさ、不快さを与えない。それどころか誠心誠意面白おかしく語られて
いるのが、わたしには驚きだった。
ここに描かれている人々がどことなく人間離れした熱心なクリスチャンだからと
いうだけでなく、自らキリスト教徒としては落第生、人一倍の好色漢であると口にし、
この世に身を曝して生きていることを恥としてきた人柄が滲みでているからだろうか。
ちなみに阪田さんは自らを描くときにことさら自虐的である。
わたしはキリスト教徒ではなく、またとうてい愉快にやれそうもない人間であるが、
生きている自分に自身がなく身の置きどころがないと恥じる阪田さんには、厚かましい
けれど身内のような親しさを感じる。」
岩阪さんの作品世界はずいぶんと暗いもので、「とうてい愉快にやれそうもない人間」
と書いているのは、妙に納得するのです。阪田さんの世界は決してくらいものばかり
ではないのですが、シャイな人でありますから、自虐的にしなくては笑いをとるような
話題を提供することができなかったかもしれません。