神は細部に宿り給う3

 三島憲一さんに、なんのうらみがあるわけではないのですが、岩波文庫
「蛇儀礼」の解説で、著者のヴァールブルクさんの紹介を行うにあたって、
ヴァールブルク研究所という存在を日本で受容するにあたってのキーマンに
ついて、すこし触れてくれてもよかったのではないかということを日々綴って
います。
 岩波文庫の解説には、薄田泣菫の「茶話」における坪内祐三さんのように、
それにしても、完本「茶話」を収録していた「富山房百科文庫」はすばらしいと
脱線しつつ解説をまとめるという手法もあったのですが、今回の三島憲一さんは、
脇目もふらずという感じで、脇目もふらずというのはヴァールブルク派の手法
とは違い過ぎないかと、林達夫山口昌男に学恩のようなものを感じている
小生は、強く思うのでありました。
 たとえば、この本の解説を、山口昌男さんが参加する東京外骨語大学の
メンバーの一人である「坪内祐三」さんが担当したら、間違いなく言及したに
違いありません。( 「蛇儀礼」の本文の解説にふさわしいかは、別の話で
ありますが。)

 三島さんが山口昌男さんを認めたくないのは、「本の神話学」に次のような
記述があるからでしょうか。
「1890年代にワールブルクはフリードリッヒ・テオドール・ヴィシャーの
示唆により、芸術における象徴的表現の研究にとりかかっていた。ニューメキシコ
のズニ族インディアンの儀礼と芸術の研究を通して、彼は、芸術における象徴的
表現の研究は、宗教、呪術、言語および科学の研究から切り離してはならない
ことを学び知っていた、とザクスルは言う。ワールブルクはインディアンの調査に
赴いてはいないはずであるから、彼のズニ続の研究は、当然、F・H・カッシング
の調査報告にもとづくものであろうと推理してカッシングの報告の刊行された
年をみると、まさしく『ズーニの物神』と『ズーニ創造諸神話の概要』を発見
することができるのだ。するとここに驚くべき同時代的符合を見いだすことが
できる。」

「ワールブルクはインディアンの調査に赴いてはいないはずであるから」と
山口昌男さんがいった瞬間に、山口さんは、「ワールブルクが狂気の淵から生還
した証言」として有名な「クロイツリンゲン」講演のことを知らなくて、
ワールブルクを持ち上げており、信用できない人物というような連想が働いても
しょうがないかもしれません。
 山口ファンにはああまたかでありまして、彼は「河内紀」と「池内紀」さんを
同一人物であると思い込んだりしているのを眼にしており、このくらいではびく
ともしないのであります。