加藤周一著作集 5

 本日は、加藤周一さんの祥月命日でありますがクリスチャンとなられた加藤さん
には祥月命日なんていい方は通用しないのですね。
 この一周忌を機会に加藤さんの「ある晴れた日に」を読まなくてはと、最近に
文庫化された本を手にしています。この作品はこれまで河出文庫版とか著作集版で
手にしているのですが、なかなか読了することができなくて、これまできています。
今回が最後のチャンスではないものの、やはりこの現代文庫版で読まなくてはいけ
ませんです。

ある晴れた日に (岩波現代文庫)

ある晴れた日に (岩波現代文庫)

 この作品には「渡辺一夫」さんが序文を寄せていますが、作中人物のお一人は、
渡辺一夫がモデルともいわれていました。
 そういうことでいいますと、昨日までの太田正雄(木下杢太郎)も作中人物と
して、存在がうかがえてもおかしくはありません。小説「ある晴れた日に」が書かれて
いたのは49年ころのことでありまして、木下杢太郎について積極的に書いていた
のもほぼ同じ時期でありました。
 加藤周一「木下杢太郎の方法」から引用です。
「 私は今でも、想い出す、国民服の流行していた頃、ズボンの先の細くなった古い
型の背広を着て、ソフトを眼深に被った、すこし猫背の太田教授が、大きな鞄をかか
え、朝の本郷の大学の正門を急ぎ足に入る印象的な姿を。時代を無視したそのダブルの
背広と同じように、その頭のなかには時代と無関係な純粋に学問的な観念が渦を
まいていたにちがいない。また或る初冬の夕暮、同じ門から、裾の短い黒い外套の
襟をたて、両手をポケットにつっこみ、忙しそうに現れたこの反時代的人物が、おり
から本郷通りを行進する一団の兵隊には眼もくれず、洋書と漢籍とを売る本屋の飾窓
にたちどまり、しばらく眼を走らせたかと想うと、まっすぐに農学部の法へ歩み
去った姿。その黒い外套が、葉の落ちた並木の蔭に小さくなり、やがて消えてしまう
まで、わたしはたって見送っていたが、外套の上の大きな頭は片側に並んだ本屋の
飾窓の前を通る時だけ、その方へちらりと、殆ど本能的に動く様子で、その他の何もの
に対しても振り向くことはなかった。世には書籍愛好家という者がある。木下杢太郎も
本を集めることを好んでいたにはちがいないが、ただそれだけのことではなく時代と
彼の精神との超え難い距離が、その時既にはっきりと現れていたのだ。研究室でなけ
れば、本屋の他に興味をひくもののない世界に詩人は追いつめられていた。
しかし、断じて彼自身であることをやめなかったのである。」