加藤周一著作集 4

 加藤周一さんが亡くなって一年となりますが、ここのところ加藤さんに関する
新聞記事を良く見ることでです。当方は、古い著作集を引っ張り出してきて、
古い文章を読んでいます。本日に手にしているのは「著作集6巻 近代日本の
文学的伝統」であります。これに収載されている「木下杢太郎」関連の文章の
ところをぱらぱらとページをめくっています。
「 私には太田正雄(木下杢太郎)の伝記を作る意図があった。その意図の理由を、
みずから説明して書いたのが、『木下杢太郎の方法』である。私はその後伝記の
資料を集め、その覚書を作って、たまたま機会が与えられると、覚書の断片を
もって文責を果たした。・・・・しかるに伝記そのものは、書くことがなくて今日
に及んだ。・・・太田正雄伝を作る日が、いつか来るかもしれないという一種の
予感を、私は今も持ち続けている。鴎外には伝記がある。杢太郎にはそれがない。
その詳細な伝記は、私が書かなければ、誰かが書くべきものである。」
 上に引いたのは「木下杢太郎の方法」への追記の部分です。
「 もし人あって私に木下杢太郎の方法を、一言に要約することを求めたとすれば、
私はただちにそれは形態学的方法だというであろう。
 本来実証主義の最初の表現の一つとして、近代科学の武器となった形態学には、
その意味でも当然合理主義とは相反する面がある。そして詩的直観とは相通う面が
ある。とにかく私には、太田教授が皮膚疾患のなかに求めたものと、仏教芸術の
なかに求めたものが無関係だとは考えられないのである。」