蓼食う虫

 谷崎潤一郎の「蓼食う虫」は、辻原登(この方の辻という字も、しんにゅうの点は
二つであるのですが、これは現在は、どのワープロでもでないと思いますが、この二点
しんにゅうが登録漢字(?)になるとかで、近いうちに発売されるワープロ辞書を
使うと、初めて普通に二点しんにゅうを表示することができるようになりました。
辻邦生ファンは、やっと、ご本人の記するのと同じに表示することができるように
なりまして、ほっとすることでありましょう。)さんが、大谷崎のなかでもベスト3に
あげるものですが、この方のおすすめは新聞連載時の小出楢重さんの挿絵がはいった
岩波文庫」版であります。しかし、この岩波文庫版は、現在品切れで古本でしか
入手ができません。ネットで検索をかけますと容易に確保できそうですが、次のような
文章を目にしますと、やっぱりこれは岩波文庫を確保しなくてはいけないと思うので
ありました。
「 現在岩波文庫版で八十三葉の挿絵全部をみることのできる『蓼食う虫』(昭和3年
12月〜翌年6月)の場合には、谷崎潤一郎が挿絵に励まされて書き続けたと後に
述懐しているくらいに、楢重の作品は小説に寄り添っていて、しかもそれ自体で独立
して読者の目を楽しませてくれる。新聞小説と挿絵との数少ない成功例のひとつと
いわれる所以であろう。
『挿絵の雑談』を読むと、楢重がこの仕事の役割をよく考え把握したうえで引き受けて
いたこともわかる。
 これらの挿絵によって得られた画料は存外大きな収入となり、小出家の家計をうる
おした。」
( 岩坂恵子 「小出楢重の肖像」 新潮社 92年 )

 できれば、近所の古本やさんで岩波文庫「蓼食う虫」がみつからぬかと思っており
ましたが、そのようにうまくことは運びませぬ。かわって、かっての中央公論社からでた
全集の第12巻が750円でありましたので、文庫よりやすいということで、まずこれを
確保したのであります。1967年に、全28巻全集の一冊としてでたもので、当時の
価格は1500円ですから、40年を経過して、新刊当時の半額というのは、どうなって
いるのかいなという感じです。このころの全集というのは、ほんとに格調が高くて、
読んでも飾ってもよろしいことです。
この谷崎全集は、濃い藍色のクロース装で、印刷は精興社、もちろん旧字旧かなです。
検印もきちんと印を押したとおぼしき紙が張り込んであります。
 大きい本でありますから、ねころんで読むのはちょっと大変ですが、本当にこの時代の
本は本らしくてよろしいこと。
 1ページにゆったりと活字を組んでいて、それが旧かなですから、作品が書かれた時代
の雰囲気がページからつたわってきます。
 「蓼食う虫」の冒頭におかれている、次のくだりに本日は目が止まりました。
「 着附けと云ひ、姿勢と云ひ、さう云う爺臭い風をするのが此の老人の好みであって、
『老人は老人らしく』と云ふのを口癖のようにしているのである。
 思ふに此の羽織の色合ひなども『五十を過ぎたら派手なものを着る方がかえってふけて
みえる』と云ふ信条を、実行しているつもりなのであろう。要が常に滑稽に感じるのは、
『老人々々』といふものの此の父親はまだそうほどの歳ではない。恐らく55、6歳より
も取ってとってはいない筈である。」
 作品が書かれた、今から80年前には、60歳というのは立派な老人といってよかった
のでしょうか。