蓼食う虫 2

 谷崎潤一郎の「蓼食う虫」は、東京生まれの谷崎が関西の言葉をつかって書いた
小説でありますが、いまから80年も前のことでありますから、文化や経済は関西の
ほうが東京よりも進んでいたのでありましょう。東京が日本の首都になったのは、
明治以降のことでありますが、経済も含めて文字通りで日本の首都となったのは、
第二次世界大戦のことではないでしょうか。
 昨日に引用した岩坂恵子さんは、学生時代までの関西で過ごし、結婚してから
東京へ移り住み、今にいたっているのですが、「小出楢重の肖像」という文章の
なかで、次のように書いています。
「 東京に二十一年暮らしてきた私も、自分の基本となる言葉はやはり大阪弁だ、
と思わざるをえない。しかし、その大阪弁にしたところで、楢重が自由自在に駆使
した明治時代の島之内仕込みの大阪弁とはかなりの相違があるだろう。この文章の
なかで彼がしゃべっている科白にしたところで、戦後生まれで大阪のはずれに育った
私が書いているのだから、怪しいものなのだ。その怪しいところを差し引いても、
まだ大阪弁は共通の言葉として、彼と私の間に残る。」
 詩人でもある岩坂恵子さんにしても、明治時代の島之内仕込みの大阪弁をきちんと
再現しえたか怪しいといっていますが、そうすると谷崎潤一郎の作品における
関西言葉というのは、どのくらいのものでありましょうか。
 上に引用したところに続いて、岩坂さんは谷崎潤一郎の文章に触れています。
「 関東大震災後ずっと関西に住み、登場人物に関西弁を喋らせる小説まで書いた
谷崎潤一郎は、『私の見た大阪および大阪人』という文明批評ふうの随筆で、
面白い意見をいろいろと述べている。そのなかのひとつに、彼は言葉よりも声の
ほうに東京人と大阪人の差異を強く感じるというのだ。大ざっぱに言って、東京人は
かさかさした乾涸びたような声で、大阪人は粘っこく潤いのある声というわけだ
 谷崎潤一郎の言うように、東京人と大阪人の声をそれほどはっきりと区別できる
ものかどうか、私にはわからないが、気候風土がその土地に住む人々に影響を及ぼす
のは当然だろう。関東よりも温暖湿潤な温気のなかに暮らす関西人の声に湿り気を
帯びるのは頷ける。」
 
 谷崎の小説「細雪」は、数回映画化されていると思われますが、この姉妹を
美形ということだけでなく関西の声の湿り気を帯びた役者さんで揃えるというのは、
ほとんど不可能なことと思えてしまいます。
 最近の関西言葉というと、吉本弁がその代表的な存在でありますが、これは
谷崎が愛した言葉ではありません。