大阪留学の記 4

 どちらかというと関東以北に生まれ育った人が、大阪に移り住んで大阪文化に
どっぷりとつかって、文化を学ぶというのを「大阪留学」として、そのような
見聞記を読んでいます。
 谷崎潤一郎の小説「蓼喰う虫」の登場人物は、京都に住む妻の父親に誘われて
人形芝居を見物にいくのですが、京都の妻の父は、もとは大阪くらしで、いまは
お妾さんとともに京都に住むという設定です。
「 文楽座は焼けちまったんで、道頓堀の弁天座という小屋なんだそうだ。・・
 下駄を脱ぎ捨てて足袋の底に冷たい廊下のすべすべした板を踏んだとき、一瞬
 遠い昔の母のおもかげが心をかすめた。・・・そういえば、旧式の芝居小屋は
木戸口をくぐった時の空気が妙に肌寒い。いつも晴れ着の裾やたもとからすうっと
風が薄荷のようにからだへしみたのをいまだに記憶している。・・・
 見回したところ、小屋はそうとうの広さであるのに四分通りしか入りがないので、
場内の空気は街頭を流れるすうすうした風と変わりがなく、舞台に動いている人形
までが首をちぢめて、さびしく、あじきなく、見るからあわれに、それが太夫
沈んだ声と三弦の音色と不思議な調和を保っていた。・・・
 なるほど、人形浄瑠璃というものは妾のそばで酒を飲みながら見るもんだな。」
 岩波文庫の「蓼喰う虫」は、小出楢重さんの挿絵がはいっているのですが、
人形浄瑠璃見物の場面では、芝居小屋の桟敷の様子、人形のかしら、そして舞台の
様子が描かれています。
 この作品の登場人物は、淡路島へといっても人形浄瑠璃の芝居見物をするので
ありました。
「 淡路の人にいわせると人形浄瑠璃はこの島が元祖であるという。いまでも
洲本から福良へかよう街道のほとりの市村という村へいけば、人形の座が七座ほど
ある。」
いまから80年ほどの前には、ずいぶんと生活の近くにあって、人形浄瑠璃が盛ん
であったようです。