本日も辻原登さんの「熱い読書 冷たい読書」(マガジンハウス刊)から話題をいた
だきます。
世界ひろしといえど、作家の名前に「大」がつくのは、「谷崎潤一郎」ただ一人だと
いう決めつけから話ははじまります。「デュマ」とか「トルストイ」に「大」とつくのは
他に同姓の作家がいて、それと区別するための呼称となっていますが、ひとり「谷崎」」
のみは、次の用件を満たしているので「大」と呼ぶのだそうです。
「 作品群が傑作揃いであること。
作品が大量であること。
多数の読者をもっこと。
作家自身が長寿、かつ晩年まで旺盛な創作活動を続けること。
どれひとつかけても失格だ。」
谷崎潤一郎は、1965年 80歳でなくなったとあります。当時の作家としては長命と
いうことになります。たぶん、日本の近代作家で世界的に認められた最初の一人で
あるのでしょう。小生がこどもころは、毎年ノーベル文学賞の発表時期になったた、
谷崎が受賞するかどうかで話題となったことを記憶しています。この文学賞は地域の
バランスとか運不運がつきまとうものであるようですが、辻原さんのこの文章をみる
限りにおいて、日本で最初の受賞者は、谷崎であったほうが良かったのではないかと
いう気持ちになります。
小生が、こどものころに身近に感じた谷崎作品というと、なんといっても「台所太平記」
のような作品でありまして、たぶん、映画がテレビドラマで見たものでありましょう。
小学生にも作品のファンがいて、それとはまったく別の世界の作品もあるのですから、
懐というか間口が本当に広いことです。
辻原登さんのおすすめは、次のようになります。
「 その作品の中で、とびきり僕の好きなのが『蓼喰う虫』で、彼が関東大震災を
きっかけに関西に移住して間もない頃書かれたもの。・・・
谷崎がやがて『陰翳礼賛』を書いて決定的な日本回帰を果たす橋がかり的な作品で
あるが、・・複雑精妙な人間関係と心理が、生きた人間の心の躍動として描かれて
いる。
僕の『大谷崎」ベスト3は、『少将滋幹の母』『細雪』そして「蓼喰う虫』
1928年、新聞連載時の小出楢重の挿絵は近代挿絵史上の傑作といわれた。
岩波文庫に楢重の挿絵入りのものがあったのにいつのまにか品切れのままだ。
残念至極!」
この解説は、谷崎の「新潮文庫」版「蓼喰う虫」のために書かれた解説であり
ますが、せっかくだすのであれば「挿絵入りで」と注文をつけているようなもので、
どうせ読むなら小出楢重の挿絵つきで読みたいと思うことです。
そういえば、岩波文庫版では、新聞連載時の挿絵いりで文庫化したものが、
ほかにもあったように思いますが、最近の新聞小説でも挿絵が話題になったものが
あります。これらが単行本となるときに挿絵は、どのように扱われているか興味の
わくところです。