ぐだぐだと「吉野葛」

 谷崎潤一郎の「吉野葛」は、どのように読まれ、論じられてきたのか気に

なるところです。だからといって、あれこれと谷崎論をのぞいてみることも

なしです。お手軽にウィキで小説「吉野葛」についてのところを見てみたの

ですが、ここには花田清輝への言及はありません。そうなのかな。

 当方が読んでいた中央公論社新書判全集の解説は伊藤整さんでありまして、

伊藤さんは、ひととおり筋のようなものを紹介したあとに次のように書いて

います。

「全體としてこの作品は、吉野の奥の山村の歴史的な美しい分行くを描いた

ものと言ふべきである。

 そして、その点で、これ等一連の小説(春琴抄蘆刈など)には、共通の

構造上の類似がある。それは物語が層をなしてゐるところである。その層は、

常に作者または語り手その人の実在、即ち現在から始まって、次第に過去に

さかのぼり、現在の実在感を過去の物語の実在感へとつなぐ役目をする。

絵巻物の初めが今であり、開くに従って過去へ遡るやうな手法である。」

 伊藤さんは、このように谷崎作品の物語の層を「現在の実在感を過去の物

語の実在感へつなぐ」と表現するのでありますが、この文章のなかでは、谷

崎が企画し、断念した小説については話題にせず、すこし作品が書かれた時

代について言及するのみです。

「大正末期から昭和初年にかけての時代は、社会的にも文壇的にも、新しい

思想が相ついで起り、革命的な混乱が日本文化界にひろがった時であって、

その騒然たる時代の混乱が、美の使徒としての谷崎潤一郎を東京の文化界に

近づかせなかったもののやうである。」

 「吉野葛」が発表されたのは、1931(昭和6)年のことで、それは満州

変が起きた年であると書いているのは花田清輝さんの「吉野葛 注」のなか

であります。

 島田雅彦さんが番組のなかで言っていた「当時の時代背景が南北朝南朝

よりの作品をすすめるを困難にした」というのは、花田清輝につながってい

くのですが、花田の「吉野葛 注」を読んでいましたら、谷崎がこの作品で

言いたかったのは、「こんな時代だから、自天王など南朝に関する小説を

書いて発表するのは適切でないので、そのかわりにこのような作品とした」

ということであるようにも思えることです。

 花田清輝は、谷崎がちょっと視点を変えれば、小説は可能であったのにと

も言っているのですが。

 

吉野葛・盲目物語 (新潮文庫)

吉野葛・盲目物語 (新潮文庫)