読書週間 5 

 北海道に本拠をおくカナモトの会長である金本太中さんの本には、若い頃に
打ち込んだ「文学」を通じての友人とのことが記されています。

幼年時代を含めた少年期の交友は、文字どおり友だちであり、その後の生き方に、
決定的な影響を与えるものではなかったが、東京にでて、なまかじりではあったが、
文学に親しむようになってからの友人は、その後の生きざまに、すくなからず尾を
ひいている。・・・
 父親が亡くなって、やむを得ず継いだ家業の経営から今日に至るまでは、当然、
仕事上の数多い人に出会ったが、それは企業人としての自覚を自らが築いていく
過程でのことであって、・・あらためて記録すべきことではないので割愛したい。」

「忘れ得ぬ人たちとの出会い」という章にあるものですが、これをみますと、文学に
親しむようになってからの友人からの影響は決定的であると読むことができます。
それは、自らの故国である朝鮮を肌で伝えてくれた「姜舜」「金素雲」の両氏で
あり、いまでも連絡を欠かさない同人誌仲間の一人である「飯島耕一」氏である
ようです。

「 大学時代に何人かと詩の同人誌をだしたことがあるが、彼はその発起人の一人
だった。同人には、これこれの人がいたと欠くと、文学とは縁遠い人でもへえーと
唸るような人たちだったが、みんな大成している。それらの多くの人たちのなかで、
彼だけが今日にいたる友人として思い浮かぶのは、なぜなのかわからない。」
「 彼ほど多彩な分野を包みこんで、突き進んでいった文学者はそう多くはいない
だろう。・・野心的な詩や小説の書き手としての彼は、評論を含めて絶えず新しい
ものに、挑んでいるのかもしれない。
 我田引水ととられかねないが、私はかれの動きをみて自分の経営についての基軸と
なっている破壊=変革と進歩の構図を思わずにはおれない。
 これ以上、彼を云々する能力をわたしは持ち合わせず、立場にもないが、詩人、
飯島耕一としての出発点となった、処女詩集「他人の空」を飯田橋の印刷所に、二人で
受け取りにいった時のころを思い出すことがある。
 多くの詩集のなかで、この処女詩集と1974年に刊行された『ゴヤのファースト
ネームは』と、昨年だされた『浦伝い詩型を旅する』は、わたしの脳裡に焼き付いて
離れない。
 わたしは文学に親しみ、そして離れていったが、今でもその周辺を彷徨している
ような気がする。」

 飯島耕一さんの書いたもののなかに、金太中さんはしばしば登場することもあり
まして、拙ブログでも飯島さんの文章を引用したことがありました。
 しかし金太中さんの文章を見る機会はほとんどなく「脱 私の経営 私の人生」
を手にしてはじめて、両者の発言を眼にすることができました。
 この本は2002年に刊行されたのでしたが、この本を書店で立ち見をして、
金太中さんが、飯島耕一さんの詩集として脳裡に焼き付いたコメントしてる
「浦伝い詩型を旅する」を、あわてて購入したことを思い出します。