読書週間 6

 本日もカナモト会長 金本太中さんの著作「脱 私の経営 私の人生」から
話題をいただきます。
「わたしは、幼少時から今に至るまで、間断のないトラウマに、苛まれていることを
告白せざるを得ない。そしてその主因が、幼少時の貧困と終生のエトランジェ感覚に
よるものだと、思わずにいられない。」
 東大文学部を卒業して、民族学校の教師となり、それから父親がやっていた従業員
30名ほどの会社にはいって、経営者となり、その会社を東証一部上場会社とした
のでありますが、金太中さんはいわゆる「負け組」といわれる人々への共感があります。

「後年、文学にのめりこんだ時代があったが、室蘭での中学生時代に、文学を触発して
くれた二人の友人がいた。
 ひとりはMという、早熟で利発な少年であった。・・・
 もうひとりは、今も交流が続いているSである。彼とは中学4年の時『霧』という
名の二人だけの回覧雑誌をつくった。・・
 Mといい、Sといい、通常の出世階段を昇るような煩わしさから逃れるように、
自らの小さな世界に埋没して行ったが、華々しい舞台で活躍するのとどちらが良い
という物差しで語ることはできないだろう。
 わたしは事業にのめり込んで行き、それでも時として、非日常の現実離れした世界に
憧れることがあるが、それが忙しさのなかでの息抜きの場となっているのだろう。」 

 一時期、「勝ち組」「負け組」ということがよくいわれました。どちらかというと
勝ち組というのは、若くして起業して、会社を上場して創業者利益を得て、高級住宅で
暮らすというようなイメージがありました。財テクによって「勝ち組」のポジションを
つかんだ人は、世界同時不況ともいえる局面に直面して、青ざめているに違いありま
せん。そうした「勝ち組」の人が怖れるのは、「負け組」以下に身をおかなくては
けいない事態となることで、いま求められるのは、違った価値観による物差しであり
ましょう。