装丁家の仕事

 朝日新聞出版からでている「一冊の本」8月号を、今頃になって見ておりました。
これには、文芸ジャーナリスト重金敦之さんが「書棚と本棚」というタイトルで
連載をしておりまして、8月号は「装丁家の仕事」というサブタイトルになって
います。
「 本の装丁は、装丁家という人たちに頼むのが普通だ。著者や編集者の好みも
あるが、大きな出版社だと装丁室とかデザインルームと称して、自社に装丁家
抱えている。昨今その人たちの仕事量が多く、繁忙をきわめているらしい。自社の
スタッフを使えば、給料は会社が払っているわけだから、装丁料を計上する必要が
なく定価を抑えることができる。」
 自社で装丁室をもっているといえば、新潮社が有名でありますが、すべて外部に
頼むわけではないのですから、どんな会社であってもデザイナーを抱えているのか、
それでなければ編集者が、ちゃっちゃっとやってしまうのでしょうか。どのみち、
デザインの善し悪しで売れ行きが変わるわけでもないとふうに考えている会社も
ありますでしょう。
「 出版社に所属する装丁家たちはコスト計算に長けている。フリーの装丁家
なかには、『金のかかる』装丁を指定してくる人がためにいる。つまらない自己
顕示欲なのだろう。高級感をだすために高価な紙を指定し、印刷にも原色以外に
インクを一色使う。印刷費がそれだけかさむ。それをチェックするのが編集者の
仕事なのだが、ベストセラー作家や大物の装丁家から強く『要望』されてしまうと
なかなかコントロールできない。」
 最近ではコストが優先するので、このように「自己顕示欲」のように遊んで
いつような本は、なかなか企画がとおらないように思います。装丁のために
本の定価があがるというのは、すんなりと受け入れられないでしょう。
 問題は、つぎのような場合でしょう。
「 現代新書(講談社)のカバーが杉浦康平氏から変わって四色から二色になった
のも、コスト計算があったからに違いない。杉浦氏と講談社の間で一悶着があった
のは、記憶に新しい。」
 講談社現代新書というと、杉浦康平さんの装丁で記憶に残っていまして、ある時に
カバーがかわっていたときには、いったいどうしたのであろうと驚いた記憶があり
ます。それくらい現代新書は個性を失ったように思います。雨後の竹の子のように
新書が創刊されて、それはどれも無個性であって、小生には見分けもつかないので
ありますが、まさか現代新書まで、それにならうことはないではないかです。
こうした新書と対抗するためには、装丁をかえてでもコストを守るべきであるか、
それとも価格をあげてでも個性を守るべきであるか、この時代における企業の
判断は、あっさりと個性を捨ててしまい、コストダウンにかけてしまうようです。
 個性あるデザインを通していくためには、講談社の場合にあっては、文芸文庫の
ように1400円くらいの価格にしなくてはいけないということでしょうか。