限定本の版元 8

 お盆休みで、本の整理をしていたら別冊太陽「 本の美」86年刊がでてきました。
 この特集の冒頭特集は「書物の美学」というもので、壽岳文章さんが文章を寄せ、
本の解説を高橋啓介さんが書いています。この「書物の美学」特集は、壽岳文章さんが
刊行していた「向日庵私刊本」を紹介するものです。
「 本は著者と読者を結ぶ唯一つの絆として美しくあらねばならない。本は美術工芸
 品として美しくあらねばならない。向日庵私刊本は、その一つの象徴といえまいか。
 ・・・・・・」
 向日庵私刊本というのは、昭和を代表する限定本でありますが、壽岳さんにとっての
意味合いは、次のようになります。
「 内容も外観も、徹頭徹尾自分自身の発想と操作にもとづき、厳密な意味でのいわゆる
 私刊本を造った学究者は、自然、人文、社会の三系列を通じ、日本では私以外に一人も
 見いだせないと思う。しかも私の場合、ウィリアム・モリス以来の海彼私版家の主流に
 見るごとく、人間や社会のあり方に対するきびしい批判、つまり文明批評が、本造りの
 起動力となっているところに、十五年戦争下の一良心の作業も認められる点に、独自の
 存在価値がある、とあえて私は自負する。」

 十五年戦争とありますので、その刊本は昭和5年くらいから始まったものでありましょう
か。戦争がおわってまもなくにでた刊本には、「英文日本エマスン書誌」というのがあり
ますが、これは昭和13年4月に刊行予定されていたものが、戦争の影響で刊行が遅れて
実際の刊行は昭和22年12月となったのだそうです。
解説には、「戦後の混乱していた時代にこのような美しい本が発行されたことは不思議な
思いがする。」とあります。
 壽岳さんは、ご自分でも印刷機をお持ちであったようです。
「 仕事場は、玄関脇の三畳部屋で、もとそこには、戦争が始まって間もなく、東北大学
 英文学教師の職を辞し、夫人とともに北米へ去った英詩人ラーフ・ホジスン愛用の
 アルビヨン型てびき印刷機と活字その他付属品一式が置かれていた。英本国では、自作の
 詩を好みの縦長一枚刷りにみずから印刷していたホジスンは、日本でもそうするつもりで
 アルビヨンを仙台の居宅へ持ち込んだのだが、仙台の気候・風土はそれを実現させず、
 『壽岳ならば志をつぐであろう』との土居光知のすすめに従い、快く私へ譲って離日した。
 ・・・ 戦争が終わってみると、ホジスン遺愛のアルビヨンは影も形も消えていた。
 (印刷機を預けた)心弱い印刷業者は、苛烈な当局のはたり取りに抗しきれず、他の
 鉄製品と一緒にアルビヨンも『献納』したのであろう。この一事からだけでも、私は
 戦争を憎む、徹底的に憎む!」

 この壽岳さんの文章を読みますと、美しい本を愛する人は、戦争を徹底的に憎まなく
てはいけないと思ってしまうのでありました。