限定本の版元 10

 別冊「太陽」53号 昭和61年刊 は「本の美」特集でありますが、巻頭で
特集されているのは、壽岳文章さんによる「向日庵刊本」であります。湯川書房
限定本であれば、どこかで手にすることができるかなと思いますが、「向日庵
刊本」は、現物を目にすることもなしで終わるのではないかと思っております。
 ここでは非売品として「限定四部」だけでた「和紙景観」という本について、
紹介されています。
「 和紙景観 壽岳文章採取撮影 昭和14年7月造 非売本 限定四部
 記番 菊倍判 変型桝型  出雲大東油紙装折本仕立 布装帙 
 題せん 新村出墨書」

 これは「有栖川記念学術奨励金を受けて、わが国の手漉き紙業の歴史地理的
研究に従事した」ときの産物であります。この調査は「紙漉村旅日記」という
タイトルでまとまっておりまして、これは春秋社からでていた夫妻の著作集にも
収録されていました。
 「和紙景観」は「調査の折り、即ち全国の手漉の紙を作っている村々を尋ね、
 古老にただし、文献を求め、全国を行脚したが、その時々に集め得た和紙、
 撮影した写真の数多くの中から代表ともなるべき二十五種を選び、和紙とを
 併せ掲げて帖を作り、高松宮家に対する実地調査の報告書とした。」

 有栖川宮家というと、最近では詐欺師とおぼしき夫婦がなのっていたことで、
急に耳にすることとなったのですが、もともとは由緒ただしき宮家でして、
東京港区には、旧宮家あとにできた公園があるのでした。
 有栖川宮家は、高松宮家が祭祀を継いだと在りますが、「和紙景観」という
本の限定本は、この高松宮家に献じられることになるのでした。
 壽岳文章さんが書くところでは、次のようになります。
「 昭和14年7月、高松宮家に伺候し、それまでの調査や研究の大略を報告
 する義務を果たした。説明の一助とすべく造られたのが本書ゆえ、記番第一号
 を高松宮家へ献上するのがこの本造りの主目的でった。
 しかし、ことのついでに、題せんを肉筆墨書した新村出に第二号を、用紙の
 正紺染を責任指導した上村六郎に第三号を献呈し、終番第四号を私蔵とした。
  高松宮家への献上本が、民間の古本市場へ現れるなで、私は夢にも想見しな
 かった。ところが、昭和48年の5月、世間並みの常識ではおこり得ないことが
 おこり、高松宮家旧蔵の本書第一号は、持つに最もふさわしい人の愛蔵に帰した。
 本に意志があって、おのずとそこへ飛んで行ったとしか思えない。・・・
 宮家といえども、本にとって安住のすみかではないらしい。私は手元の第四号を
 王子製紙ゆかりの紙の博物館へでも寄贈しようか、などと考えている。」
 
 「宮家といえども、本にとって安住のすみかではないらしい。」とありますが、
高松宮家も断絶したので、そのときに整理したものが市中に流れたもので
しょうか。この本が、その後、「持つに最もふさわしい人の愛蔵」となったと
ありますが、このことについては、他の本で紹介されているようですが、この
ような事実があったことを知ってから、すでに20年以上になるのですが、
いまだに、この「最もふさわしい人」がどなたであるのか、承知していません。
委細は「向日庵・宗悦・志功の限定本」52頁以下にゆずるとあるのですが、
手がかりをいただいても、調べることもないのでした。(この本の著者は
高橋啓介氏で、版元は湯川書房でありました。)
 第四号は「紙の博物館」に収まったのか、第一号はどこにあるのか、興味は
つきないことであります。