限定本の版元 4

 限定本の版元である武井武雄さんは、「童画、版画、造本美術を三本の柱」と
して活動をしておりまして、出版が業ではないのでした。中公文庫「本とその周辺」
には、彼の出版活動の舞台裏が描かれています。

「『地上の祭』が刊行されたのは昭和十三年だが、実は三年間を費やしてやっと
生まれたもので、一度でいいから遺憾のない本を作ってみたいという、この世では
少々無理な望みが、鬱積していた処へ、(同好の士があらわれたので)油に火がつく
のは当然の結果である。この本が如何に凝りに凝ったか、体裁よくいえばいかほど
良心を傾けたか、それはむしろお笑い草に近いようなものだから、本作りの手記と
して少々記しておく。」

「一度でいいから遺憾のない本づくり」というのがどういうことを意味するのか
ですが、銅販絵本ということで、エッティングをするための鳥の子紙ですが、特漉き
であるのはもちろんのこと、薄色の具合で注文をつけたとあります。
「 文字やオーナメント、カット、飾画等の印刷はそれぞれ製版も印刷も一カ所に
まかせきりで胡座をかいて待つような事はしなかった。足で本をつくるというのが
刊本金言なのだが、それを実行して少しも労をいとわなかった。・・凹凸平の三版
総動員ということになった。」

 印刷の技法とその仕上がりについては、よくわかりませんが、凹凸平の三版で
仕上げるというのは、普通にあることではないのでしょう。この昭和十年ころで
あっても、石刷り石版については、ただ一軒しかやっていないとありました。
ここでもすりあがってから、インクが乾いたらイメージとおりにあらずと刷り直しを
したとあります。 一番こだわったのはノンブルだそうです。

「 これだけは活字組版でいくわけなのでまず手始めに、東京中にある限りの活字
サンプル帖を蒐集して、これを丹念に渉猟し、まずこれでいこうというのを選び
出した。・・一字二十本くらいずつそれをわざわざ新鋳させたのである。二十本と
いえども完全無欠というのはせいぜい一本二本しかない。一文字についてそれぞれ
その一本を選び出して印刷に登場さえたのである。如何に凝り屋の多い限定本の
歴史にもここまでやったのは、そうたくさんは無かったろうと思われる。・・」

 「遺憾のない本づくり」というのは、すべてにおいてこだわりが形になっていて、
一冊が形になるには、たくさんのロスが発生しているということがわかります。
 政田岑生さんがプロデュースした塚本邦雄さんの湯川書房の本にも、活字を作り
直したという話がありましたが、やはりそこまでやるんだと、いつも半端な仕事を
している当方としては、背筋をのばし、こうした本はねころんでは読めないなと
思うのでありました。