武井武雄さんの「気侭画帳」には、昭和20年3月の空襲を受けたあとの東京に
ついて、次のように記しています。
「 上野の山にたって眺めると実に荒涼たるものだった。
業火のなかにも立ちつくした西郷さんの目に写るこの数十年の大江戸の変遷ハ
誠に感慨無量のものがあろう
このあとにどんな東京が再建されるか
西郷さんは果たして遠久に此処に踏みとどまるか勝たねばならぬ
ブリキと瓦の街 大震災の時と同様 小さな土蔵だけがあちこちに
ポツンポツンとたっている 」
このように記した翌日に、「小国民文協理事長幹事長会議」というのがあって、
新橋にでるのですが、この会議では食事が振る舞われるのでした。その食事内容に
ついて、詳細に記しています。
「 新橋駅東洋軒にある ここは内容よしとの事だが実物をみるに及んで驚いた
今どきこんな豪勢な食事をさせるところありとハ想像もしなかった
帝国ホテルも大東亜会館も一流のところの半分の内容もなし みな浅草の
化け物みないものばかり
パンもかかる厚さのもの珍しい 紙ナプキンなど出すところ、当今どこにも
なし 」
たしかに戦況が悪くなっているときこそ、しっかりとしなくてはいけないので
ありますが、それにしても、「小国民文協」での料理メニューはどうなって
いるのでありましょう。一般的には食糧不足になっているにもかかわらずで
ありますが、この会議の会場話は別天地のような話であります。