限定本の版元 5

 刊本作品というシリーズで著名な武井武雄さんには、「本とその周辺」と
いう著作がありまして、これは中公文庫にはいっております。(いまは入手
困難な一冊となっているのでしょうか。)
 武井武雄さんは、明治27年(1894)のお生まれで、宮沢賢治と生年が
同じであります。小生の祖母も同年生まれでありまして、宮沢賢治は大変若く
して亡くなったわけですが、もし生きていたとしたら祖母と同じ時代風景を
みることとなったのかと思いました。
 武井武雄さんは長命な方で没年が1983年ですから、亡くなった年も祖母と
同じとしであるようで、ますます親近感がわくことです。小生の祖父母が生きて
いた時代がどのようなものであったかということは、武井さんの著作からも
うかがい知ることができるのです。

「 私の本ではまだ初期の頃だが、上田徳三郎という製本の名工がいた。この
 老人は本当の明治の職人のコースを小僧からたたきあげた人で、洋風製本は
 横浜のチャンベルというドイツ人から習った草分けてきな存在だが、その
 仕事ぶりはとても今の若い衆からは想像もできないもので、製本という仕事を
 非常に神聖なものと考え、まず神棚へ灯明をあげ切火を切って、さて机に向かい
 おもむろに一礼してそれから手をつけるといった具合で、もっともこれは
 この人一人のことではなくこのころの職人気質というものがこうだったわけで
 ある。
  生前近頃の製本の堕落ぶりを、しみじみと嘆いていたが中でも刷本の上に
 ゴム足袋の蹟がついているなどという冒涜ぶりについては涙をためるほど
 悲しがっていた。大量ものの世界にはそのくらいの事はザラにあって今の
 職人は誰も怪しまないのが普通だが、この感覚は正直に仕事の結果に現れて
 くるところに問題がある。」

 この時代であっても、今とくらべるとずっとましであったのでしょう。
武井さんがいうところの「製本の堕落」ぶりなんてのは、いまとくらべると
天国のような状態であったのかもしれません。
 武井武雄さんの「刊本作品」を支えた人について、このように書いてもいます。
「 私の刊本作品では特殊技能を要請する場合が非常に多いので、いろんな
 方面の名人を常に探し廻っているのだが、名匠といわれるほどの人はこれが
 そろいもそろってみんな変人と呼ばれる人ばかりで例外がない。
  もしあるとすればそれはもう名工ではないといっていいのである。
 名工をさがすよりも変人をまず探したほうが早道といっていいほどのもので
 ある。」 

 こうあるのを見るだけでも、職人がへって芸術家(アーチスト)がふえている
この時代において、限定本の発行を続けることの大変さを思うのでありました。