湯川書房が関わった刊行本に72倶楽部本というのがあるのだそうです。
「仙台が親戚」様からは、この倶楽部について、以下のコメントをいただいて
おります。
「湯川72倶楽部、当初予定会員は70名、2部を著者が原則で、72倶楽部と
名付けられました。発足時、申込者多く100名余になり、木偏の文字を会員に
当てていました。小生は希望の文字は複数者あり当選せず「樽」になっています。
限定数100でも会員には木偏の文字印を管理捺印されたのは湯川成一です。
最終配本時は会員数減少し、残部は頒布されていました。」
湯川72倶楽部刊行目録
1 1979.12.31「吉行淳之介詩集」限定108部 240×205 著者 墨書署名
2 1980.11.30 歌 塚本邦雄 染絵本「出埃及記」限定108部 385×330
染絵 望月通陽
3 1982.4.5 杉本秀太郎訳 詩画集「温 室」 限定100部 240×225
メーテルランクによるショーソンの歌曲、
岡田露愁 オリジナル木版画6葉 著者 名刺にペンで署名
4 1984.6.15村上春樹「中国行きのスローボート」 限定100部判型 小B6
著者 名刺 ペン署名
5 1987.7.2 小川国夫「逸 民」 限定100部 210×170
蔵書票 木版画下村宏
著者 名刺にペン署名
6 1989.1.15富士川英郎「本と私」 限定100部 220×140
表紙、函 望月通陽による型染布装
7 1992.12.10 杉本秀太郎 句集「冬の月」 限定100部 220×120
著者墨書一句添入
以前、「仙台が親戚」様からいただいたコメントには、湯川成一さんは
武井武雄刊本の会員とあったように思います。この倶楽部は、その手法でありま
すが、会員番号を「木」偏の文字であてるということになると、おのずと
会員は制限されてしまいます。70人ほどですが、木偏で70人分を用意すると
なるとどんな字が使われていたのでしょう。