現定本の版元である真珠社主人は、奇妙な好みがあって、それが社名の
いわれであると富岡多恵子さんは書いているのですが、こうした主人に
バランス感覚を求めるというのは、ないものねだりであるのかもしれません。
このような小説を読みますと、限定本の版元には偏執狂の人しかイメージ
できませんが、もちろんそのようなことはないのでありました。
先日に「仙台が親戚」様の書き込みにあった「武井刊本作品」の版元で
ある「武井武雄」さんなどは、もちろん極めて健全な精神の持ち主でありま
した。
「 私は珍本を作るということにはさっぱり興味がないけれど、見る方の
側ではやっぱり珍本屋と考えている向きがあるらしい、・・・時々本の
親類から提供されるアイデアが単に珍奇であるだけで、全然美術的調理の
余地のないものがある殊でそう感ずるのである。今まで本の常識中になかった
ものをどしどし取り入れてこなして行ければ、それが何であろうと老衰する
本の動脈硬化を防ぎ、そこに新しい本の美が創造されていくのだが、ただ
材料が変わっているというそれだけの事で、審美的は考慮を刊善意忘れて
しまっているような珍本奇本は邪道といわなくてはならない。底には必ず
本の美術の追究という背骨が一本通っていないと意味がないわけである。」
上に引用した文章は、中公文庫「本とその周辺」武井武雄さんのものからで
あります。こうしてみると、「武井刊本作品」というのは、本の形をした
オブジェというか美術品であるように思えるのであります。