吉野葛 3

 花田清輝さんの「室町小説集」に収録の「吉野葛・注」であります。
 花田さんのものでありますので、けむにまかれてちんぷんかんぷんでありますが、
なんとか読み返しをしながら、わかろうとつとめています。
 手にしているのは、「室町小説集」の元版であります。昔の本ですから、すこし
大きめの本にゆったりと活字が組まれています。
 小沢信男さんの「捨身な人」に収録の「一筆平天下の長い足跡」という花田清輝
さんについて記した文章には、次のようにありました。
「この本(「復興期の精神のこと」)はA5判で、一頁が12ポイント活字の三十七字
十三行という、ゆったりした組み方でした。これが文体と『きわめて適合していた』
と、同世代の英文学者で晶文社初代編集長の小野二郎が『復興期の精神考』と題する
一文で述べています。・・・・
 そういう文章に大活字で出会ったことが、われらの幸運であったろうか。いきなり
8ポイントの文庫本などで出会った後の世代の方々は、つい小活字に眼がすべって、
いくらか不運であったろうか。なるべく大きめの活字で花田清輝の著作は読むにかぎ
る。第三書館刊行の『ザ・花田清輝』上下二巻は、そのための大胆な試みのひとつで
しょう。」
 この文章が、第三書館刊行の『ザ・花田清輝』上下二巻のための解説として書かれ
たものでありますが、それを割り引いても、花田清輝は大活字で読むのがよろしで
あります。
 花田清輝さんは「吉野葛・注」という作品について、次のようには書いています。
「もっぱら谷崎潤一郎の小説のなかで使われなかった自天王関係の材料をモッタイない
と思うからであって、かならずしもわたしに、かれよりも、その材料をうまくこなせる
といったような自身があるからではさらさらないのだ。
 あらためてくりかえすまでもなく、その小説のなかで谷崎潤一郎は、史実を都合よく
配列するだけでも面白い読み物になるが、その上、その史実に多少の潤色をほどこし
たらなら、さらにいっそう面白くなるであろうといった。だが、ここでは、わたしは、
史実を配列するだけにとどめたい。それは、わたしがいやが上にも面白い読み物に
なることを望まないからではなく、例の谷崎式の『アシカ馬』的な潤色では、かえって
材料のもつ生まのままの味を殺してしまうことになりはしないかとおそれるからであ
る。」
 花田さんの「吉野葛・注」というのは、谷崎作品によりながら、花田さん好みの
乱世を描くということになります。