限定本の製作というのは、労多くして収入にはつながらないものであると、
富岡多恵子「壺中庵異聞」にはあります。
当時、富岡多恵子のパートナーであった「池田満寿夫」は、無名の版画家で
彼のところに真珠社から、池田の版画を使った限定豆本の製作話が持ち込まれる
のでありますが、この作業にからむやりとりの渦中にいた富岡の感想は、次の
ごとくであります。
「 横川蒼太にとって、さらに好都合は、刷り師の方に、版元の豆本熱狂というか、
偏執狂的態度が感染してきていることだった。わたしは、横川蒼太の慇懃無礼の
前で、いつも自分たちがまったく無力は労働者だと思うのであったが、資本家たる
版元の方も、豆本によって不当な利益を得るどころか、刷り師同様、あきれる
ばかりの徒労のくりかえしのはてに、むしろ損をしているのがわかってくるに
つれて、怒りのもって行き場がなかった。このひとたちは、いったいなんのために
こんなオモチャのようなものをつくるのに熱中しているのだろうかと、わたしは
たえず豆本に反感と敵意さえもっていた。・・・・
本の大きさ、内容、表紙の紙、見返しの紙、本文用紙、箱のかたち、部数、
それらのいちいちについて版元と刷り師はあきずに相談し、討論をくりかえす。」
限定本には、当初に販売されるときに、目の玉が飛び出るような高価なものが
ありますが、そうしたものであっても、富岡多恵子が記しているように、「不当な
利益を得るどころか、むしろ損をしている」のでありましょう。
それまでして、どうして限定本をだすのかでありますが、これは、「偏執狂は版元
だけでなく、むしろその買い手のほうに、そのひとたちが要求するところもあるのだ。」
限定本の世界は、部数がすくなくなるにつれてマニアックになって、ほかの誰ももって
いない「特製1部本」というのが究極の姿なのでしょう。