「湯川書房の思い出」2

 本日も「仙台が親戚」様からいただいたコメントを編集したものです。

「 塚本邦雄さんには、政田岑生(書肆季節社)さんという優れたプロデューサー
兼マネージャーが居られました。
湯川書房が出した本もこの方が関係していると思います。政田さんなくして、
塚本さんの仕事は実現されなかった。過酷な勤務をやり遂げながら、書肆季節社を
経営されて居ました。現在は旅立たれて居ます。あちらで旧交を温めて居られるの
では思っております。
 いつだったか、会社の寮から摂津市に自宅を構えた時、又、湯川の命で寮の
物品を運んだ時、車に同乗、「もうこれは極道です」とため息をつかれたこと
あり、地底這うような小生の生活からうらやましいですと申し上げた時漏ら
された言葉です。湯川さんのことで喜んで下さるのは有り難いのですが、早く
生まれただけの特権、昔「季刊湯川」に岡田露愁さんの「魔笛」のPR文を書けと
言われ書きましたら、所蔵の小品一点しかないにもかかわらず、それを例に、
彼のセンスを書くと、自慢になってると書き直せと言われました。
 湯川本はそういう目で見ると禁欲的です。最もお金に不自由しない豪華本出し
たいとは言っていました。
 湯川書房にもこの政田さんとは違う形で支えられた方居られます。湯川さんは
亡くなられる前、彼の手を握り、感謝されたそうです。いつでしたか喫茶店ホルンで、
東京から帰ってきた湯川さんが「東京では私と彼が湯川を食いものにしてる」との噂、
小生、「私はいいが彼は可哀想ですよ」と言ったことでした。
 湯川さんは政田さんの死を悼んで「政田岑生詩集」書肆季節社を制作、広島時代に
優れた詩人だった彼に敬意を表しています。「銀花」14号の頃は、未だ活字印刷で
したから、旧字を使うことは、今の写植時代より厄介でした。印刷所に活字がなければ
新たに購入し使ったわけですが、印刷面の活字が並ぶと、もとから使われていた活字と
新しい活字は微妙に線の太さが違います。これが、印刷所の厳しい発注者に泣いた
ところです。写植になりますと、凸版であっても、新しい字が並ぶわけですが、
凸版ですと印刷字、プレスが強いと線の横のインクが付くため、すっきり線が出ない
苦しさがあります。平版ですとその点は楽ですが、のっぺらとして、プレスの味が
ないです。
 話は変わりますが、湯川さんは、絵が描けるし、その上に達筆でした。
ファンで、必ず墨筆で、箱宛名書きをと注文される方ありました。
今、これを書いている机、天井近くに宇和島ちり紙に墨痕麗しく「赤尾兜子 肉筆歌集
『龍の裔』限定十八部 右ご案内申し上げ候 0000様」の案内状が掲げてあります。
友人が来て「呉れ」俺のところには来てないと申し、小生は軸にし家宝にと突っぱねた
次第です。あまり湯川本も買えない小生に彼がおもしろ半分に書いて送って来たのだと
思います。(自慢になりました)
 湯川書房の本は、一部に柄沢齊さん、戸田勝久さんの装幀がある他は、湯川さんの
装幀デザインです。いつだったか「雑誌デザインの現場」本づくりと紙号に、神戸の
須川製本の仕事を紹介、須川さんの装幀、製本のすばらしさが紹介されています。
湯川書房の本も並らんでいますが、これは湯川さんの装幀指示です。
 須川さんのすばらしさは、その後も依頼されていることでご承知のことでしょう。」