書肆季節社の本5

 書肆季節社の本ということで、寄り道しながら綴っています。小生は昨年まで
政田さんも書肆季節社も知らなかったのでありますからして、「書肆季節社」の
本といっても、ほとんど付け焼き刃でありまして、「仙台が親戚」様に書き込んで
いただいたものや、「SUMUS」ブログで拝見した話題を、紹介するのが役割と
考えています。
 政田岑生(まさだ きしお)さんは、1935年7月に生まれて、1992年
6月に病没とあります。このかたが亡くなったのは6月でありましたか。
なにかを見たら亡くなった日がわかるかもしれませんが、小生は意識せずに
祥月命日に追悼をしていたのかもしれません。政田さんが亡くなったのは、58歳と
いうことですから、これは、いまの小生の年齢でありまして、ずいぶんと若いことで
あります。
 この書肆季節社についてのシリーズは、「海鳴り」19号にあった「鈴木漠」さんの
文章を紹介することからはじめましたが、書肆季節社、活版印刷、精興社というのは、
この文章にもありました。
「政田岑生が本造りの上で最もこだわり続けたのは活版による印刷であった。
 活版印刷によるページ見開きに微妙に盛り上がる活字のあの手触り、あるいは活字の
あの量塊。それこそが活字表現の究極の姿であり、活字文化の精粋であるというのが、
政田の信念であっただろう。・・・
 活版印刷最期の砦を守っていた中堅の印刷会社精興社を探し当てた政田は、以後、
書肆季節社の刊行物の大半を精興社にゆだねることになる。・・
 ところが良心的な印刷を続けていた精興社も時代の荒波には抗し得ず、平成4年を
もってついに活版印刷部門を閉鎖したのである。政田岑生の無念さ、断腸の思いは
いかばかりであったことか。活版印刷の終焉と政田の死とが、筆写には、二重写し
なって見えてくるのである。」
 読みようによっては、精興社よりも以前に活版印刷をやめてしまった印刷会社は、
良心的ではなかったようにも見えることであります。活版印刷を最期まで守った
会社は良心的で、いち早く新しい技術を導入したのは印刷屋の魂を売り渡したと
なりかねません。かって印刷会社にお勤めであった「仙台が親戚」様には、こうした
アナログ礼賛は、現場で苦労をした職人の実感とは違うぞと思っていらしゃるので
しょう。