続「湯川共和国」 11

 伊東康雄さんの「夢のあとで」から話題をいただいています。
「 辻邦生の『安土往還記』を出したのは、一九七三年七月。この頃が湯川の絶頂期
で、三百部限定で募集をかえたところ五百部余りの申し込みがあった。私も三百人の
一人にはいらなければと、慌てて『何とか分けてください』と彼に胡麻を擂って頼み
込んで手に入れた覚えがある。」
 伊東さんは、湯川書房の絶頂期を73(昭和48)年であったと書いています。これで
終わっていれば、いつも記しますように、当方との接点はできてきません。湯川書房
としては、この路線でほそぼそとやっていれば、細く長く続いていたのかもしれま
せん。
 しかし、なかなかそうはいかないようです。
「限定本を出す傍らで湯川は、一時期、流通にのせるべく数ものの出版も試みており、
一九七七年一月には季刊『湯川』という雑誌の発行にも踏み切ったのである。」
 このように路線に入っていったのは、塚本邦雄さんの秘書役のような存在にあった
「政田岑生」さんが、湯川書房にかかわるようになったからです。
 政田さんは、損保会社員でありましたが、その一方で『書肆季節社』という出版
社をやっているという方でした。
「株式会社湯川書房を設立したのは、一九七六年のことである。とはいうものの、
現実的には限定本の世界にも翳りが見えていた。昭和初期に愛書家を魅了した江川
書房は、一年九ヶ月の間に、十一冊の限定本を出して消えていったし、ほどなく
誕生した野田書房は好事家にこよなく愛されたものの四年ほど制作後、忽然と
終わっている。限定本の出版というのは、実に短命なのである。作家が居なく
なってしまうからなのだ。最初は辻邦生、そして小川国夫、塚本邦雄と出していった
湯川だったが、一通り周ってしまうと、次に出そうと思う作家がもう居なくなった。」
 限定本の魅力は、作家の作品をいかす凝った本作りで表現することですが、これを
続けるのが至難であるというのは、短命で終わった江川、野田といった版元の例で
もわかることです。