九十五歳のウィーン

 本日の朝日新聞朝刊には、吉田秀和さんの「音楽展望」が掲載されていました。
一昨日に古い朝日新聞で保存していたものから「音楽展望」のみをとりわけたの
ですが、朝日新聞に連載されている文章で、一番の楽しみは、このコラムであり
まして、それはもう数十年にわたってそうなのでした。音楽については理解が
及ばなくても、文章のうまさでついつい最後まで読んでしまいます。
 先日に整理していた「音楽展望」で、一番いいなと思っていたのは、2000年
7月26日にのっていた「昨日、今日、明日」というタイトルのものです。

「 昔十六か十七歳のころポールヴァレリーの本で『うしろ向きに未来に入って
ゆく』というのを読み、うまいことをいうものだと思った。あと半年もしない
うち新しい世紀に入る今となって、この言葉が他人事でなく響いて身にしみる。
次の世紀もさぞ辛いことになろう、それに正面から向き合わずにすむのは老人の
数少ない功徳の一つではないかというのが、今の私の秘かな想いなのだから。
 時間が無限に前にむかって進のでなく、前もなければ後ろもなく、進むのは
退くのと簡単に区別できないと考えるようになって何年にもなる。・・・・
 とはいえ、新しい力の現れをみるのはうれしいことだ。春の草であれ、新しい
才能の花咲く姿であれ。7月5日朝日新聞夕刊の音楽会批評を読んだときも、
この喜びを味わった。白石美雪という人の書いたものだが、彼女は演奏された
曲の一つ一つについて慎重でしかも目配りの良く行き届いた文章で、・・・
全体としては個々の作品の相当具体的記述があり、その上にこの会全体のもつ
今日的意義にまで踏み込んだ論評になっている。それに文章の歯切れの良さと
文章の整った姿勢、これほどの新聞評はそうあるものではない。」

 16,7歳でヴァレリーかよと思わずつっこみたくなりますが、「うしろ向きに
未来に入ってゆく』というのは、同感でありまして、小生もそろそろ「正面から
むきあわずにすませるようになっているのではと思いこむような気分となって
います。
 それから8年、本日の文章の書き出しは、「何年ぶりかでウィーンに行って
きた。」となっています。
 奥様のバルバルさんが病にたおれてからは、生きているのもやっとという
感じとなりましたが、亡くなってからしばらくたって、生きているのもつらそうで
ありましたが、「音楽展望」の再開をきっかけに、音楽会に足を運ぶ生活が
できて、ウィーンに足をのばるせるようになったのです。

「今度もミュンヘンから陸路、鉄道の旅である。私はウィーンは飛行機より
電車でゆっくり車窓からの風景を楽しみながら行く方が好き。何十年か昔、
初めて行ったときもそうしたし、その後の何回もそうした。」 
 
 ウィーンは遠いのに、飛行機から乗り換えて鉄道で入っていくのですが、
この時の、吉田秀和さんは95歳で、どなたか身内のかたが同行されたので
ありましょうか。