高知つながり 3

 上林暁さん「ツエッペリン飛行船と黙想」のあとがきを記しているのは、遺族代表と
なる大熊平城さんであります。上林暁さんの隣家に住んでいた長女の息子さんで孫と
いうことになります。
 随筆集「幸徳秋水の甥」のなかに「緑のピストル」というのがありまして、それの
書き出しは次のようになります。
「孫のヒラキ(平城)は、もう間もなく満四歳である。やうやく大人めいてきて、赤ん
坊臭さを通りぬけたやうだ。母親(私の娘)が私の家へ来ても、ついてこない。たとへ
ついて来てゐても、一人でささとかへって行く。」
 これは大熊平城さんについて書かれた随筆ですが、1969(昭和44)年6月に発表され
たものです。ということは、現在四十代半ばということでしょうか。
 上林暁さんは、本名が徳廣巌城でありますので、名前に「城」がつくというのが家の
名前でありましょうか。そう思って、ほかの随筆を見ていましたら、「観平君」という
タイトルの文章がありました。これは「平城君」の弟さんのことのようです。
 これらの随筆を書いていたときの上林暁さんは、すでに二度目の脳溢血の後遺症の
ために寝たきりの生活が十年ちかくになっていたわけですから、新しい題材ということ
になりますと隣家に住まう孫達は絶好のものであったようです。
 同じく「幸徳秋水の甥」には、「童話について」という随筆があります。
1969(昭和44)年6月号の「新潮」に発表したものですが、これの書き出しは次のよう
になります。(この随筆は、「緑のピストル」の次におかれています。)
「私はこのところ、昨年後半期ごろから、童話に非常に興味を抱いてゐる。まだ自分で
童話を書くまでには立ち到らないが、読みたいのである。新刊紹介を見ても、児童読物
に注目する。
 どうして童話に興味を抱くやうになったらうか。朝日新聞の日曜版に載ってくる『名作
スケッチ』を愛読し出してからであることは争われない。筆者は前田武彦(ママ正しく
は前川康男)、白柳美彦と続いて、現在は親友の高杉一郎である。気に入ったのや、
珍しいのが載ってくるときは、切抜きをしてゐる。
 童話を読んで、自分の文学になんらかのプラスがあるだらうか。先ず、自分の書く文章
が平明で、わかりやすくなった。少年時代の思ひ出を書くときに、たのしく、面白く、
新鮮な気持ちで書くことが出来る。メルヘン的な世界が出現しさうな気がするのである。」
 朝日新聞の「名作スケッチ」のことは、拙ブログでも話題にしたことがありました。
( http://d.hatena.ne.jp/vzf12576/20080226 )
 上林暁さんの「童話について」というエッセイは、ほとんど頭にはいっていないので
ありますが、これをみますと当方が、上林さんの「中学一年生」(「展望」1969
(昭和44)年4月号)という小説を読んで感激したことが納得であります。
「少年時代の思ひ出」を「メルヘン的」にというのが、小説「中学一年生」の作品世界で
ありました。当方がリアルタイムで読んだのは、このあたりからであるのですが、そろそ
ろ70歳という、寝たきりの小説家が左手で、どうしてこのような作品を書くことができ
たのか、まったくもって奇跡のような話であります。