湯川書房については、どなたかふさわしいかたが、今後記録を残してくださる
ことを期待しております。小生が昨年に、ブログで題材としたときには、ネットで
検索をかけても手がかりとなることがすくなくなかったのですが、この度の
湯川成一さんのご逝去をきっかけとして、刊行目録くらい目にすることができる
ようになればよろしいと思います。
かって、湯川書房のお手伝い(?)のようなことをなさっていた「仙台は親戚」様
からいろいろとご教示をいただいて、限定本版元から一般書への転身をはかった頃に
季刊「湯川」がでるようになったことも知ることができました。
「SUMUS」4号で、湯川成一さんへのインタビュー(聞き手は山本善行さん)が
のっているのだそうですが、それがネットで公開されていて、これが今のところ
一番信頼おける資料となります。
これを見ると、大学を卒業して証券会社に勤務するかたわら昭和44年辻邦生の
「北の岬」の限定本を出版して、デビューをはたしたとあります。このときは、
会社員をしながらでありましたが、その後に会社をやめて、専業となったのだそうです。
学校を卒業した時から年齢を推測すれば、享年73才くらいでありましょうか。
「SUMUS」のインタビューには、次のようにあります。
「 山本 今まで出された本のリストはまったく残ってないんですか?
湯川−何んにも記録がないですね。新刊の案内状でも置いとけばよかったんです
けどね。それも全部なくなってしまってる。ひとつも記録が残ってないんです。
しまったと思うときもあるけど、ここまできたら、みな分からんじまいでいこかなと
思てるんです。 」(2000年のもの)
限定本の「北の岬」がでたときには、「谷沢永一」さんが、のちに「紙つぶて」に
まとめられるコラムで取り上げ、エールを送っています。
「 今まで限定本の出版といえば、たいてい東京ばかりであった。かくてはならじと、
さる二月に、摂津市の湯川書房が限定本出版の戦列に加わり、処女作として
辻邦生の『北の岬』二百部を刊行した。本文は特漉くきの局紙、フランス装
アンカット、それを畳紙でくるんだ苦心作だ。今後の意欲的な発展を期待したい。」
これは69年のことでありました。
このあと77年に季刊「湯川」を創刊しています。
この第1号には、寿岳文章さんが、激励の文章をよせています。
「このたび湯川君が公的に出版業を創める大阪には、中央政権の君臨する東京とは
違うこうした民風が、江戸時代の当初からさわやかに吹き続いている。
将軍の膝元江戸に住んでいたればこそ勢威を揮った政治僧天海や隆光と行き方を
異にし、権門に媚びず、仏教の原点に基礎を置き、正法律の実践者となった慈雲の
ような法宝は、大阪の水と土とが育てあげる。こうした伝統が、湯川君の仕事にも
ありありとうけつがれてほしい。」