富士さんとわたし8

 山田稔さんの処女出版物は「スカトロジア」未来社でありまして、小生が初めて
手にした山田稔さんの本も、これでありました。
「 人間の排泄物に関心をいだいている人はどれくらいいるだろうか。またこの
種の関心は病的な、異常なものだろうか。糞尿に関心をいだいておりながら自分では
気づかず、あるいは気づいていtも、それを恥ずべきものとして隠している人も多い
のではないか。・・・
 もしかしたら、私たちのうちにはこの種の汚物、とくに糞尿への好奇心というか
関心というか、とにかくそれを拒否しない心性がひそんでいるのではないだろうか。
・・・私たちが糞尿に対してもっている寛容さ、あるいは親近感といったものは、
生活環境からいってもむしろ当然といってもよいのかもしれない。ながらく人糞を
肥料とする農業のありかたをはじめ、今日なお私たちの生活環境のうちには糞尿の
要素が漂っているのであって・・・」

 この作品は、未来社から講談社文庫に入り、そのあとは福武文庫になりました。
いまは、編集工房ノアが刊行をしておりまして、これで入手が可能なようです。
小生は、版をかえて刊行されるたびに入手していたのですが、ノア版は、まだ
入手しておりません。
 やはり最初に読んだ未来社版が印象に残っているようです。講談社文庫は黄色の
ボドニーの表紙であったはずです。福武文庫は、いま探してみましたら91年5月の
刊行でした。450円が定価ですから、すぐに購入したのですが、この本ではほとんど
読んでいないようです。
 これを購入したのは、解説を小沢信男さんが書いているからに違いないのであり
ますが、なんともはやでありまして、この本を本日に手にするまで、これの
解説を小沢信男さんが書いていたことは頭から飛んでいました。これまた
ぼけた話であります。
 小沢さんは、この解説で次のように書いているのでした。
「 さしずめ消えた大和路の厠の精が、仮に山田稔と名乗って古今東西の芸林に
遊んでいるという趣ではありませんか。糞尿のあれこれを舐めるがごとくに語りに
語って、かくもうららかに爽やかに、行間に蝶々のひらひらの気韻さえ漂うのは、
本書が幼児性横溢の一種のユートピア通信にほかならないからでしょう。」
 小沢さんは、「VIKING」の東京同人でありましたし、富士さん宅にもいって
いますので、どこかで山田稔さんと接点があってもいいだろうと思っており
ましたが、これが間違いでありました。
「 じつは、筆者は、氏の述作に親しむのみで、ついぞ面ごの折もなく、
その人となりをじかには存じ上げません。察するに、筑紫少年が京都の水に
磨かれて、フランス文学を専攻すると、かくも瀟洒な作家が誕生するものか。
 富士正晴さんをあいだに、山田さんと小沢信男さんを両脇に配した姿を
想像するのは楽しいのですが、なんとなく、小沢さんと山田さんに、おつきあいが
ないのは、不思議な感じがいたします。