富士さんとわたし3

 山田稔さんの著作は、翻訳をのぞくとほとんど購入しているはずで
あります。小生が大学にはいったのは70年でありますが、そのときに
既刊となっていたのは、「スカトロジア」未来社と「幸福へのパスポート」
河出書房の2冊だけでして、それ以降は、ほぼ新刊ででると同時に入手して
いることになります。最初に購入した一冊は「教授の部屋」でありまして、
これとほぼ同時にでたのが丸谷才一「たった一人の反乱」でありました。
このときに、どちらの一冊を購入しようかと、しばし考えた結果、より
売れなそうな「教授の部屋」を購入し、「たった一人の反乱」は借りて
読んだ記憶があります。メジャー指向でない、おちこぼれ的な世界を描く
山田稔さんに親近感を感じたせいでありますか。
 先年に、大学時代の友人と会いましたときに、「自分は以前に、大学の
教師につれていかれて山田さんの自宅にいったことがある。」と聞かされ
ました。フランス哲学を専攻したいと教師に相談したら、それじゃと
いって山田先生のところにつれていかれたという話です。
「自宅で食事をごちそうになった」との話でしたが、学校は違うのであり
ますが、そういう時代でありました。
どのような有益なアドバイスがあったのか、記憶に残っていませんが、
学生に相談された教師が困って、旧知の山田さんに相談したというのが、
実際のところでしょう。まじめなドイツ哲学の教師の顔がうかんでくる
ことです。

 本日に読みついでいた「富士さんとわたし」では、「高橋和巳」の
「悲の器」の受賞、出版記念祝賀会についてのくだりが印象に残りました。
「受賞と出版を祝う会で、発起人や来賓がよくもこれだけその作品に否定
的な発言をしたものだ。それを黙って聴いていた高橋和巳本人の胸中や
如何に。・・・以上のような経緯もあって、この祝賀会は何重にも後味の
悪いものとなった。・・時が経ってもこの後味の悪さは消えず、今日でも
私たちの間でほとんど話題にのぼることはない。」( 148ページ)

 「フランス行きが迫った6月26日『バイキング』187号例会の後、
『スカトロジア』の出版記念会を開いてもらった。
 自分で言うのも何だが、じつに面白く楽しい。比較するわけではないが
『悲の器』のときと何という違いだろう。例会の陽気さ、あるいは猥雑な
気分がそのまま続いていて、もちろん儀礼的なスピーチなどいっさいなく、
出版記念会とはすべからくかくあるべし、といいたくなる。」(295ページ)
 
 この出版記念会の違いは、そのまま高橋和巳山田稔の文壇政治における
スタンスの違いと、上昇指向の有無によるものであるようです。
山田さんからすれば、高橋和巳はずいぶんと余分な力がはいっていたという
ことになるのでしょうか。