植草甚一 ジャズ・エッセイ

 植草甚一さんの著作は、どのくらい文庫になっているのでしょうか。
 河出文庫のジャズ・エッセイ1、2というのは、植草さんのはじめての
文庫本ということになっていますが、このほかに文庫となっているものが
思い浮かびません。
 植草さんの著作というと晶文社からのコレクションが一番有名でありますが、
文庫化されないのは晶文社への配慮であったのでしょうか。
最近の文庫本は千円を超えるものもありますので、現在流通している晶文社
コレクションのほうがお買い得であるのかもしれません。
 この河出文庫 「ジャズ・エッセイ」にはジャズ評論家の岩浪洋三さんが
解説をよせています。この岩浪さんは、かってスイングジャーナル編集長を
されていたかたですが、この方が、植草さんにジャズエッセイを依頼したのだ
そうです。
 以下は、岩浪洋三さんの解説から引用です。
「 氏は1957年4月号の『映画の友』で”私の道楽”というグラビア・
 ページに紹介され、『ジャズを聴いた600時間』という文章もそえていた。
 この雑誌を四国の松山で読んだときは、まさかその年の暮れにジャズ雑誌社に
 入社し、やがて氏に原稿を依頼する立場になろうとは夢にも思わなかったが、
 入社してみると、この『映画の友』で拝見した植草氏のジャズへの熱狂ぶりが
 頭にこびりついてはなれず、どうしても氏からジャズの原稿をもらいたいと
 執念を燃やすようになっていた。」

 こうした執念がみのって、植草さんの原稿をいただけるようになるのですが、
はじめていただいた原稿が、掲載されたのは1958年6,7月号だそうです。
そして、これが植草さんが書いた最初のジャズエッセイとなるのでした。
 ジャズ評論家としては、時流に乗りすぎるというような印象をもってしまう
岩浪さんでありますが、編集者としては一流であったのですね。

「 本屋をのぞくのは好きだったが、古本屋めぐりの本当の楽しさを教えて
 くださったのは植草氏だった。原稿を受け取る場所は大抵きまっていて、
 神保町の古本街、銀座なら洋書のイエナか並木通りあたりにあったユーハイム
 渋谷ならハチ公前の横丁を入った喫茶店トップか百軒店を入った路地の古本屋、
 ・・・・
  氏はかって鉛筆とゴム消しをもって古本屋を廻り、高い本はみんな自分が
 正当と思う値段に書き直して買ったという変わったエピソードの持ち主でも
 ある。古本屋についてはじつにくわしかった。
  青山二郎について読みたくて、十年間も僕がさがしまわって見つからなかった
 大岡昇平氏の『わが師 わが友』を方策つきて植草氏に探してほしいとお願いを
 すると、なんと二週間もたたないうちに、古本屋にあったので取りに行くとよいと
 電話がかかってきてびっくりしたことがある。氏の古本情報網はたいへんなもので
 あった。」 

 岩浪洋三さんが、この時代に青山二郎について読みたかったとあるのが眼をひき
ました。ジャズ雑誌でみるよりも、この文庫の解説のほうが、岩浪さんに興味が
わくことであります。