中原弓彦と小林信彦4

 「リテラリースイッチ」第2号 91年7月刊の「小林信彦」特集をみて
いましたら、このなかに「小林信彦最新自筆年譜」というのがありました。
自筆年譜でありますから、これが現在、一般的に流通しているのでしょうか。
講談社文芸文庫の年譜を参照してみましょうと思ったのですが、ちょっと時間が
きびしいので、それではどのように記されているかは、本日はチェックしない
ことにいたしましょう。
 59年一月末に、「ヒッチコックマガジン」の編集長となるのですが、六月に
ヒッチコックマガジン」が創刊されると、「この時より筆名を中原弓彦」を
使用とありました。もともと、この名前は、雑誌編集をしながら、自分が編集
している雑誌に埋め草などをかかなくてはいけないときに、中原弓彦という
ペンネームをつかって、目先をかわすことが目的であったのでしょう。
 もともと小説を書きたかったわけですから、編集長をしながら小説にとりくむ
のは、とても大変なことであったようです。
 61年には、次ぎにようにあります。
「 ヒッチコックマガジンを編集するかたわら、二月から喜劇的長編小説『虚栄
の市』を書き始める。不眠と下痢ひどし。」
 この小説は翌年に完成するのですが、546枚で、発表のあてなしとあり
ますから、まさに苦行僧のようであります。
このあとも、一年に一作は小説を書いていたようですが、ほとんど話題にならず、
それよりもテレビでの仕事に忙殺されたとあります。
 66年33歳の時に、「冬の神話」ようやく刊行され、書きおろしで年一作
主義は日本では無理とわかったとあります。
「この作品から、本名を用い、テレビ、映画、芸能関係のみ中原弓彦名義にする。」
 小説家 中原弓彦は、ほとんど売れることがなく終わったのですが、その後、
晶文社からでた「日本の喜劇人」は中原名義でして、おかげで、その後には、
初期の中原名義の小説まで光りがあたることになったのでしたから、皮肉な
ことであります。