思いこみと偏見5

 片岡義男さんがアメリサブカルチャに詳しくて、とくにペーパーバックに
ついて造詣が深いのでした。片岡さん名前を最初に知った時には、すでに
ペーパーバックの大蒐集家であったのですが、当方はそのことは知らずに、
片岡さんの書いた文章から、ふざけた名前の、うさんくさい文筆家という
印象をもったのであります。
 08年4月から岩波「図書」でペーパーバックについての連載を見るように
なって、やっとこさで片岡義男さんの実像にふれることになったように思い
ます。(以前にも「長谷川四郎」さんとの対談などを眼にしていて、もっと
早くに気がついてもよかったのですがね。)
 先月に文春文庫となった小林信彦さんの「本音を申せば」には04年くらいの
トリビア」番組流行にふれて、88年に刊行された研究社版の「スーパー
トリビア事典」の帯にある片岡義男さんの推薦文を紹介しています。
「推薦文を読むと『トリビア』とは『なんら本質にせまることない、どうでも
いいようなこまごまとしたことがら』という意味で、いまのアメリカでは、いろ
いろな分野でのトリビア知識のペーパーバックがでていて人気もある、という。
・・・片岡さんは、アメリカの大衆文化に限れば、『スーパートリビア事典』に
よって『本質には充分せまるし、どうでもよくはなく、じつに役にたって助かる。
ひろい読みするだけでもおもしろい』と書いている。
 そのとおりである。映画、テレビ、ポップスに関しては『トリビア』を知ら
ないと本質に迫れないことがある。」
 細部へのこだわりは本質に迫るために必要というのは、小林信彦さんらしい
ことで、そのとおりと思うのですが、片岡さんの書いたくだりでは、「ひろい
読みするだけでもおもしろい」というところが頭に残るような、こちらの
頭の仕組みになっているようです。
 13歳の片岡少年はある日、以下のような出来事に遭遇するのだそうです。
「 小説あるいはノン・フィクションを問わず、発端から結末まで終始一貫して
緊密につながるべくしてつながった何万語もの言葉が、ひとつの世界をかたち
づくり、物語を物語っている。どのペーパーバックのなかにも、そのような
世界や物語がある。これはいったいなになのか、という心の底から驚きを、
自宅にあるペーパーバックのぜんたいに、そしてその一冊ずつに対して、僕は
覚えた。
 ペーパーバックに対して僕が覚えたこの驚きから、なにがはじまったのか。
僕が始まった、としたいいようがない。」
 本の中、とりわけペーパーバックの中に自分の人生があるということを、
片岡さんは13歳で意識するのですが、そうした少年が長じてテディ片岡
デビューしたということは頭に置いておかなくてはいけません。