小沢信男一代記

 「小沢信男一代記」というのは、南陀楼綾繁さんが雑誌「さんぱん」に連載をしている、
小沢信男さんへの聞き書きのタイトルです。「さんぱん」という雑誌は、不思議ななり
たちのもので、もとはEDIというデザイン事務所をしていた「松本八郎」さんがやって
いたリトルマガジンです。「さんぱん」というのは、ちいさなふねのことであるよう
ですが、ふだんめったに目にしない舟と山をくみあわせた文字の下に板を並べて、
「さんぱん」とよむのだそうです。
 松本さんは、ほとんど自分の本業でのもうけをつっこむような形で、出版活動を行い
EDI叢書など、このあとになったら貴重となるものを出し続けていたのでした。昨年
でしたか、いろいろなことがあって、いまはかっての勢いはなくなっていますが、
それでも「さんぱん」は出し続けるつもりだという話をきいたことがありました。
 小沢さんへの聞き書きは、小生にとって「さんぱん」連載で一番楽しみとするもので
ありますが、最新号においては、これが休載となっていました。これはどのような
事情かしるところがありませんが、南陀楼さんが多忙になりすぎて、日程があわない
のが、休載の原因でもあるような話をきいたことがあります。
 小沢さんと、この連載のことを話題にしますと、一番残しておきたいと思った
時代については、聞き書きをまとめてもらったので、あとはこれといったこともないと
いうような話でした。
 あと、すこし時代がくだってきますと、小生がはじめて小沢さんの本を手にした
1974年にたどり着くのでありますが、それからあとであっても小沢さんのことを
知りたいと思う若い人たちもいるようですから、是非とも、この連載は完結をして
いただきたいものです。
 いま、このブログを記しましょうと、すこし古い「さんぱん」04年8月号を
取り出して、なかをぺらぺらとみておりますが、これは、小沢さんの文学の師の
ひとりである丸山薫さんに自作の詩を送りつけてコメントをいただくというような
話がのっています。丸山門下としての詩作は、「赤面申告」という詩集にまとまって
いますが、小沢さんの初期作品は、そろそろ文庫となってもいいのにです。
「第一創作集『わが忘れなば』が、晶文社から刊行されたのが1965年。以来
ちょうど十年の星霜のうちに、さしも非流行の拙著もついに売り切れた。そこで
ちかごろ、それが読みたいというありがたい読者が、日本中に暗夜の星ぐらいには
おられるらしいのだけれども、とっくに絶版だから手に入らないのです。
 さりとて復刻するほどの『幻の名著』でもなし、どうしたもんかいと気をもんで
いたところ、幸い晶文社さんが、なんとかしようといってくださった。そこで、
旧著と新稿を取捨案配して、あらたに一冊つくることになり、そのやっかいな編集の
いっさいを、津野海太郎氏が引き受けてくれました。」(「東京の人におくる恋文」
75年 のあとがきから。)