読書の楽しみ

 本日は、文芸評論家 篠田一士さんが亡くなった日です。89年4月13日が
命日ですから、亡くなって早くも20年になろうとしています。
本日は、また石川啄木の命日でもあるようで、こちらはなくなって97回目になる
とかで、函館では啄木忌というのがファンの人たちによって催されたと報じられて
いました。
 熱心なファンがいた文学者には・・忌というのが定着していますが、篠田さんには、
そのような動きも聞こえてきませんので、それぞれの愛読者たちがそれぞれの思いで
追悼をすることがよろしいのでしょう。今回、新潮社からでた「考える人」24号
なども、篠田さんを追悼するための企画であるのかもしれません。
 「読書の楽しみ」というのは、78年9月に坂本一亀さんの構想社からでた篠田
さんのエッセイ集のタイトルです。この本は、あちこちに発表された短文を収録した
ものです。この本のあとがきには、次のようにあります。
「 こういう本ができるなどとは、ついぞ考えたこともなかったけれども、読みかえ
してみて、なにがしかの脈絡があるのは、われながら不思議である。これもひとえに
坂本さんの努力の賜物で、スクラップの山から、あれこれの旧稿を選びだし、苦心の
配列をしてくれた手際には、感謝のほかない。
 坂本一亀と知り合いになって、もう、四分の一世紀になるだろうか。長いといえば、
長い時間だったが、今度、はじめて、僕の本が彼の手作りでできあがったのは、なに
よりも、ぼくには、うれしいことである。しかつめらしい文学論もいいけれども、
こういうアンティームな本をつくってくれたことが、また一層うれしい。」
 坂本一亀さんは、もちろん河出書房のすご腕編集者であった方で、坂本龍一さん
(教授こと)のお父上ですね。
 小生にとっての篠田さんは、なによりも文学グルメでありました。中学生のころに
柔道をしていて、大きな体をして健啖家でありましたから、一層グルメという印象を
植え付けられているのかもしれません。
「 読みたい本を、読みたいように、読みたいだけ読むというのは、読者の最高の
境地で、本当にその気になるなら、だれにだったできることである。ただし、人間、
本を読むだけが能ではなく、ほかにしなくてはならないことがいくらでもあるはず
だから、本のことだけを後生大事にしているわけにはゆかない。・・
 つまり、本を読むなどということは、そんなにご大層なことではないはずで、
朝にまんが本を読む人が、夕べに『新曲』を読むのはなんでもないことである。」

 現在、健在であったとしても、まだ81歳でしかないのでした。
生きていたら、どのような新しい文学の富と「読書の楽しみ」を教えてくれたで
しょうか。