グルメのための文学

 篠田一士さんには、「グルメのための文藝読本」という文庫本があります。
もとは、「世界文学『食』紀行」という本でありましたが、朝日文庫にはいる
にあたって、改題したものです。この文庫本のカバーには著者の紹介文があり
ますが、それには次のようにありました。
「 博識と食欲を以て鳴る文芸批評家は、かって『アンナ・カレーニナ』冒頭に
登場する生牡蠣に生唾を飲んだ少年だった。文学作品に描かれた珍味佳肴を想像
裡に味わいつくすことは、読書の楽しみのひとつ、と断言する著者が、古今東西
の詩文から口腹の楽しみを集めた、舌で読むアンソロジー
 この本の前書き(舌代とあります。)には、篠田さんが世界の十大小説にあげて
いる「夜明け前」についてのくだりがあります。
「 ぼくは『夜明け前』を耽読したとき、そこに、ここあそこと、めだたない
ようにちりばめてある食べ物の描写、あるいは記述に、他人には言えない、ひそかな
楽しみを味わっていた。木曽路を主要舞台にした、この長編小説にでてくる食べ物の
多くは、土地の山国のそれだったが、ときにはフランス帰りの旗本侍が披露する
牛鍋料理の場面も描かれていた。木曽路には多少のなじみがあって、五平餅の名前を
きいただけで、口中に、それを食べたおりおりの記憶がわりと容易によみがえって
くるのであった。・・・
『夜明け前』は、ぼくには日常的な懐かしさを、食べ物によってかきたて、一見
とっつきにくい、いや、ひとによっては非文学と思われるような長大な小説の
なかに、自分なりに文学を読みとる手がかりをさしだしていてくれたのである。」
 この文庫本の解説は、荻昌弘さんが書いています。
「 氏のあの巨体は、いわば肉体的にも精神的にも『食』の成果、いや精華で
ある、といった威圧感を私に与えてやまなかったのである。氏は一時期百キロに
あまった体重から、三十数キロを削るという大減量に成功され、『どうだ、背中
から、浅丘ルリ子をひとり、ふりおろした!と言い放った。私には美貌の大スターを
払いのけたその後でさえ、やはり氏の巨体は、『食』の精華としか見えなかった。」
 一時期は、このように減量に成功をしたのですが、それでも、高血圧からくる
病が、自宅での死亡につながることになったのでありました。