今月のPR誌 

 定期で購読をしている出版社のPR誌が、月初めに自宅に相次いで到着します。
すべての出版物は、小生のブロウの材料用でありますが、今月のは、昨日まで
取り上げていた鶴見俊輔さんのものくらいしか、すぐに使えるものはありません。
「ちくま」は、どなたかが記していたように、連載ものが多くなりすぎていて、
これの書き手さんと肌があわないと、ほとんど読むものがなくなってしまい
ます。
 本日に届いた「ちくま」3月号の刊行予定の本リストをみていましたら、
 偏屈老人の記   石堂淑朗
  女子の古本屋  岡崎武志
という、最近までちくまで連載をしておりましたエッセイが単行本になると
ありました。この連載があったころの「ちくま」はいまよりも楽しかったと
思うのですが、どのようなものでありましょう。
 本日は、この号にのっている菅野昭正さんのエッセイを読んでおりました。
今月のタイトルは、「春の惑い」というものであります。
「 その年、1952年の春4月は、いつもの年とどこかちがう感覚を満ち連れに
していた。4月を知らせる暦が残酷に思えてならなかった。遅々として春日の
訪れとともに、時間がにわかに重苦しくなった感じでもあった。」
 この重苦しさは、来年のいまころにどのような仕事をしているのか、そうで
ないのか、お先が真っ暗であったからです。
 「当時、文学部の卒業生を雇う企業といえば、新聞社か出版社くらいのもの
だった。・・・文学部を選んだのは、社会の中枢につながる実学の方面に進んだ
ところで、世の中が困窮していたのではどうにもならない。どうせ何をやっても
食えないんら、せめて好きな本とつきあえる方向へ、という程度のことしか
念頭にうかばなかった。」」

 菅野さんが卒業してから20年もたつと、文学部の就職事情は、そうとうに
改善されたのでしょうか、「私が文学部の教師になって一番驚かされたのは、
卒業生の就職状況の激変ぶりであった。鉄鋼会社、商事会社、銀行など大企業に
フランス文学科出の学士諸君が堂々と入社してゆくのを目の当たりにして、
世情に疎い教師のほうは信じがたいおもいがした。」
 小生が文学部を卒業したのは74年3月でありましたが、地方の私立大学の
文学部の卒業生には、門戸は十分に開かれていなかったような気がします。