小沢信男さんの「書生と車夫の東京」を話題にしています。
昨日は目次を引用しましたが、四つのパートにわかれていまして、「明治・大正
の人物と世相」「批評または書評」「映画評」「犯罪紳士録」の四つとなります。
これも小沢ワールドのオムニバスですが、小説とか詩のような創作が一つもないこ
と、書名には「東京」とありますが、いわゆる「東京町歩き」の文章やルポがない
ことが見てとれます。
力がはいっているのは、巻頭におかれたものでありましょうが、それはまたあと
にして、まずは無名の人についての書かれた文章を話題とします。
「新日本文学」などで出会った人についての肖像は、「みすず」に連載されて
「通り過ぎた人々」にまとまるのですが、ここに掲載されている文章は、その先駆け
ともいうものです。
これが書かれた時点においても無名であるのですから、いまではほとんど話題に
なることもないでしょう。小沢さんが取り上げているのは、木下教子さんという方
です。これから紹介するのは、小沢さんも寄稿している木下教子さんの「生きていけ
ればそれだけでいい」という遺稿集についての文章です。
「ここに一冊の遺稿集がある。著者は一介無名の女性である。装丁も白地に黒い文字
だけの、飾りけのない地味な本だ。
これを読んで、私は興奮を覚えた。文章を書くということは何なのか。文学運動とは
どういうことなのか。そんな根本を問い直される思いがした。
木下教子は、1942年生まれ。二十歳より約十年、電話交換手として働きつつ、その
間に日本文学学校にまなんだ。そのご結婚して一女一男を産み育てるが、先天性肝内
結石症が悪化して1980年十一月、三十八歳で没した。
生前、彼女が発表した文章は、文学学校卒業生たちのサークル『文学世紀』に小説
ルポ・評論等を数篇。夫とともに加わった『活動家集団・思想運動』にテレビ評など
エッセイを数篇。『婦人民主新聞』『社会新報』等に一、二回。それでどうやら総て
のようだ。」
この本には、花田清輝、長谷川四郎、鶴見俊輔という尊敬する人々についての
文章が収録されているのですが、それと同じ扱いで無名の女性の作品を取り上げて
いるところが、小沢流であります。