小沢信男著作 83

 小沢信男さんの「書生と車夫の東京」を話題にしています。
 昨日は目次を引用しましたが、四つのパートにわかれていまして、「明治・大正
の人物と世相」「批評または書評」「映画評」「犯罪紳士録」の四つとなります。
これも小沢ワールドのオムニバスですが、小説とか詩のような創作が一つもないこ
と、書名には「東京」とありますが、いわゆる「東京町歩き」の文章やルポがない
ことが見てとれます。
 力がはいっているのは、巻頭におかれたものでありましょうが、それはまたあと
にして、まずは無名の人についての書かれた文章を話題とします。
新日本文学」などで出会った人についての肖像は、「みすず」に連載されて
「通り過ぎた人々」にまとまるのですが、ここに掲載されている文章は、その先駆け
ともいうものです。
 これが書かれた時点においても無名であるのですから、いまではほとんど話題に
なることもないでしょう。小沢さんが取り上げているのは、木下教子さんという方
です。これから紹介するのは、小沢さんも寄稿している木下教子さんの「生きていけ
ればそれだけでいい」という遺稿集についての文章です。
「ここに一冊の遺稿集がある。著者は一介無名の女性である。装丁も白地に黒い文字
だけの、飾りけのない地味な本だ。
 これを読んで、私は興奮を覚えた。文章を書くということは何なのか。文学運動とは
どういうことなのか。そんな根本を問い直される思いがした。
 木下教子は、1942年生まれ。二十歳より約十年、電話交換手として働きつつ、その
間に日本文学学校にまなんだ。そのご結婚して一女一男を産み育てるが、先天性肝内
結石症が悪化して1980年十一月、三十八歳で没した。
 生前、彼女が発表した文章は、文学学校卒業生たちのサークル『文学世紀』に小説
ルポ・評論等を数篇。夫とともに加わった『活動家集団・思想運動』にテレビ評など
エッセイを数篇。『婦人民主新聞』『社会新報』等に一、二回。それでどうやら総て
のようだ。」
 この本には、花田清輝長谷川四郎鶴見俊輔という尊敬する人々についての
文章が収録されているのですが、それと同じ扱いで無名の女性の作品を取り上げて
いるところが、小沢流であります。