國學院の裏の顔2

 嵐山光三郎の「口笛の歌が聴こえる」をみていると、こんな学校が、
本当にあったのかいなという感じを受けるのですが、60年代の國學院
いうのは、硬派と軟派が入り交じり、盛り場も近いので、相当に賑やかな
学園であったようです。
「 英介の大学は、かたや革マルの拠点であり、かたや、七生報国の右翼の
拠点でもあった。・・・
 おのとき、ボクシング部のトレーナーシャツを着た男が英介とすれちがった。
『ボクシング部のリーダーで角川春樹っていうんだ。あと、学生互助会の
ボスだ、だから、女にもてる』」

 作家の丸谷才一國學院大学に勤務したのは、1953年で、翌年に助教授と
なって1964年3月に退職するまで教えています。「エホバの顔を避けて」は
在職中に発表していますが、彼の代表作の一つ(小生のもっとも好きな丸谷
作品)である「笹まくら」は、退職した二年後の66年に発表となりました。
主人公は、大学法人の職員で、彼の勤務先は「國學院」がモデルであります。
「 浜田は校庭からでるとき、正面のすぐ横の小さな神社に非常に丁寧に
 お辞儀をした。この大学には神官養成のコースがあって、神社はいわば
その実習教室であった。学生や、それからこの大学の卒業生でない若い教員の
なかには、神社を無視して通り過ぎる者もかなりいたが、彼はお辞儀を欠かさぬ
よう気をつけていた。文学部の全学生に神道概論が必須課目になっているような
この大学の、反動的とはかならずしもいえないけれども、しかし保守的雰囲気に
逆らうことは何事につけ危険だった。・・・
 浜田もその、スキーの日焼けで真っ黒な顔の、派手な黄いろいネクタイの男に
手をふってあいさつした。フランス語の助教授の桑野である。浜田は飴色の
ルノーが正面にはいってゆくのを見送りながら、彼がなぜ車を買ったのかと
いううわさ話を思い出してほほえんだ。自動車で通れば神社にお辞儀をしなくて
すむから、というのである。このなかなか有望だといわれているボードレール
学者は、職員には陽気に挨拶するくせに、あの神社には目もくれないに相違
ない。」
 
 「笹まくら」の書き出しは、「香典はどれくらいがいいだろう?」という
もので、最初に読んだときには、学生のせいもあって、香典をだすという
習慣がなかったので、この書き出しのところに、なんの感慨ももちませんで
したが、社会人となって、香典を出す出さない、出すとしたら、どれだけが
自分と故人(または親族)との関係の有り様を表現するかと悩むにいたって、
この書き出しの言葉の活気的なことが理解できたのであります。
 そういえば、昨年に作品集が刊行された佐藤泰志さんも、國學院に在籍した
はずですが、彼も、國學院の主流ではなかったようです。