名作スケッチ3

 朝日新聞日曜版に連載されていた「名作スケッチ」を話題にしていますが、
この欄を担当していた白柳美彦さんという人のところで、寄り道が続きます。
昨日は、白柳さんと生活をともにしていた北畠八穂さんとのことが記載されて
いた「百名山の人」田澤拓也さんから引用をしていたのですが、昨日に、この
百名山の人」を手にして、白柳さんについての記載をみていた時、次のとこが
目に入りました。 
「 救世軍司令官 山室軍平の長男の妻で作家の阿部光子は北畠より九歳年下で
ある。戦後のクリスチャンの童話作家の会合で北畠と知り合った。北畠は介添えの
背に負われて会場にやってきた。当時幼稚園児だった阿部の娘が北畠を児童雑誌
光の子供に発表された一連のマコチン物の作者と知って抱きつくと、北畠は大いに
喜んで鎌倉山に遊びにこいと阿部をさそった。それから二人は仲良くなった。
阿部は年に3、4回北畠宅に出入りするようになっていた。
 阿部は北畠の屈託のない話し方や素朴な信仰に心がなごみ勇気づけられた。
昭和16年に小説『猫柳』で芥川賞候補となったことがあり、文才もあり、素直に
思ったことを口にする阿部を北畠もまた信頼したようだ。
 北畠が予言したように、阿部はそれから4年後に田村俊子賞、その5年後には
女流文学賞を受賞した。」
 救世軍の山室家のお嫁さんが小説を書いていて、田村俊子賞を受けている、
そのような小説家がいるのであるなと、頭にインプットしたのです。
これがなんという偶然か、本日の朝日朝刊で、次の訃報記事を見たのでした。
「 阿部光子 作家 本名 山室光 26日心不全で死去、95歳
 遅い目覚めながらも で田村俊子賞。」

 昨日の新聞で、阿部光子という作家がいたことを知って、翌日の朝刊の
死亡記事で、その人がなくなっているのを知りました。その人のことを
認識してから、亡くなったことをしるまでの時間の短さよ。