寿岳文章さんの話

 先日に小野二郎さんの息子さんと同姓同名別人のかたについてを話題としましたが、
そのときに小野さんの追悼文集であります「大きな顔」(晶文社刊)のことを思い
浮かべました。この本は、83年4月に小野二郎さんの一周忌を前に非売品として
刊行されたものですが、そのあとに、小野二郎著作集全三巻を購入すると、この追悼
文集がプレゼントされるというはからいがあって、普通に手にすることができるように
なりました。非売品として例外的に増刷されているのは、このためでありますが、
小生はそのどちらも入手することができました。
 この追悼集の最後には、寿岳文章さんの「小野二郎君の思い出」(逢わで別れし
くやしさ)という文章がおかれています。
 寿岳先生は、自分の門下に後継がでないことを、次のように書いて、小野二郎さんの
ことを惜しむのでありました。

「 ひとたび思い定めたら、徹底的にその主題に打ち込むのが、京大在学以来の私の
信条であり、方針であった。世寿八十を越えてなお同じ態度をくずさずものを書く
私ゆえ、これを私の『学風』と呼んでも許されるのであるまいか。しかし非常勤講師と
して奈良女子大学京都府立大学でほんのしばらく文学一般乃至英文学を講じた以外、
国公立大学の講壇に立たず、学生に質のあまりよくない私立大学でしか教えてこな
かった私には、私の学風をつぐ弟子はなく、かって私の学んだ京大の卒業生にさえ、
私の著作や講演が契機となって、私に親近しようとした人士は皆無に等しい。それも
当然であろうか。
 往事をふりかえって、ただ一つ心残りなのは、たとえ非常勤にもせよ、京都大学
英文科生に、英文学を講じる機会が私に与えられていたなら、受講生のなかに、
あるいは私の学風を受けつぐ者が小人数にもせよ現れはしなかっただろうか、と可能
性すら皆無であったことである。・・・文学部英文学教室は、理由は何であるにせよ、
故意に私を拒否しつづけたとしか思えない。」

 このような思いを抱いていただけに、ウィリアムモリスについての論文を発表し、
そのなかで寿岳先生に言及する小野さんの登場は、とっても嬉しかったとあります。
なぜ、モリスとの関連で後事を託そうと思い定めたかということでは、次のような
話です。

「 名をあげることは控えるが、東京に住み、日本の代表的な書物通と自認し、
何かといえばモリスを口にするのみならず、モリスの文体や本質をまるでわきまえも
しないで、軽々しくモリスの金玉の文字を翻訳する人物がいる。彼は、小野君の労作
『装飾芸術』をよんだであろうか。読んだとすれば、いかに厚顔な彼といえども、
モリスを正しく理解するためにはどのような心くばりが必要かがわかり、そのような
心くばりもなしに、モリス論を書き散らしてきた自分への、慚愧の念に耐えられない
はずである。
 しかし彼の今までの言行から見て、そうした自責や反省を彼に期待するのは、百年
河清を待つに等しいかも知れぬ。それに、彼の亜流は、軽薄なジャーナリズムの尻馬に
のって、近時、蠢動どころか、跋扈し始めた兆候がある。」

 これまた八十を過ぎて丸くなるどころか、厳しいことであります。自らが学者として
不遇であったこともあるのでしょうが、自分の研究対象であるモリスを利用して売文の
ねたにしようとしたことを許すことができなかったのでしょう。