新村出という名前を聞くと、最近は「広辞苑」の編者として記憶されて
いるかと思いますが、もともとは文献学者といわれていました。
林達夫「文芸復興」(中公文庫81年刊)の「書籍の周囲」という章は
「文献学者 失われた天主教文化ー新村出氏の『南蛮広記』を読む」という
タイトルで、新村さんの仕事ぶりがとりあげられています。そのまえに
文献学者とは、どのような人かです。
「 私は多くの風刺家が文献学者に対して浴びせかける嘲笑には余り賛成しない
ものである。
彼等は文献学者とみれば真面目くさってばかばかしい詮索に耽っている無用の
長物だという。活ける現象をよそにして、死せる過去の事物にこだわっている
迂闊者だという。・・・・そうしてあげくの果てには、文献学などは豊かな
想像力と大いなる好奇心のない、美の感情に乏しい、表現能力に欠けた者に
して初めてなし得る学問だと極言するのである。・・・
かくて文献学者は、風刺家の嘲笑に反して、この世における最も尊敬すべき
またもっとも愛すべき存在の一つたるを失わないのである。そうして人もし
真の文献学者の典型を示してもらいたいというなら、私はアナトール・フランス」
のシルベスト・ボナールをさして彼を見よと言いたい。・・・
わが新村博士は実にかかるよき文献学者の実にかかるよき文献学者の僅かな
うちの一人である。我が国の文献学がそのシルベストル・ボナールを氏をおいて
有していることは、我々の少なからざるよろこびであると共に、世人からその
存在を忘れられ勝ちな我が国の文献学にとって大いなる強みであらねばならぬ。」
こう書いてきて、新村氏は文献学者の持ちうるすべての優れた特質を一身に
具備してかと思われるとつづくのでした。
それじゃ、その特質とは、なんでありましょうい。
・ 些細なる事物への煩わしきまでの詮索癖
・ 過去の世界への深くしておおいなる愛着
・ 古今東西にわたる言語と典籍に関する該博なる知識
・ 飽くことのなき好奇心と豊かな想像力
・ 美に対する繊細な感じ
・ 巧緻にして芸術的な匂い高き表現
・ 多方面な趣味
・ 文献学者にふさわしい幾らかの「古風」
・ 勤勉にも関わらざる懶惰の一面