「本の背表紙」

本の背表紙

本の背表紙

 今年の購入一冊目となったのは「本の背表紙」長谷川郁夫さんとなりました。
本日に年始にきた弟が持参してくれました。元 小沢書店主である長谷川さんの
ものは「美酒と革嚢」以外は購入をしていますが、どれも小沢書店の出版物の
ファンには楽しくよめるものでおすすめであります。
 この「本の背表紙」についても、ブログで話題としてとりあげることができる
材料がたくさんありまして、これは、小生のことしのネタ本となるぞとにんまり
するのでありました。
 さて、この本のなかから、最初にとりあげるのは「薔薇と月光」と題された
「森亮と篠田一士」についての一章です。もちろん、森亮さんとは、12月に
岩波文庫からでた「ヘリック詩抄」の翻訳者で、数日前の小生のブログでふれま
したが、昨年の1月17日には森亮さんの詩集についてもふれていたのでした。
( 今回の勢いのなかで、森亮さんの詩集を紹介しようと思っているのですが、
これがどこに紛れたのか見あたりません。見つかり次第に話題とすることに
しましょうぞ。)

 長谷川さんによる「薔薇と月光」は、次のようにかかれています。
「 森亮、といっても、今では忘れられた存在かも知れない。小泉八雲上田敏
 『海潮音』の研究で知られた文人英文学者で、戦前には伊東静雄『コギト』に
 拠る詩人でもあった。
 『晩国仙果』は森さんの全訳詩集。イスラム世界、中国古典期、近代イギリスの
 三分冊が平成2−3年に出版された。( 注 小沢書店からです。) 
 『晩国』は日の沈む西方の国を指し、『仙果』はギリシャ神話の四姉妹
 ( ヘスペリティーズ)が護る黄金の林檎の美称として使った、という。この
 企画は、森さんに旧制高校で教えを受けた文芸評論家・英文学者の篠田一士から
 もたらされた。師弟愛については、近代文学にも多くの美しい例がみられるが、
 二人の関係もまた羨ましいほどに見事なものだった。この場合は、晩年の森さんを
 篠田さんが引き立てたとのだといえるだろう。・・・
  当時、森さんは八十歳にちかく、郷里の大阪・寝屋川に帰っていたが、師が
 状況する度に弟子はかいがいしく尽すのだった。鵜のように細い首の痩せた
 森さんを、名だたるグルマンで巨漢の、中学時代には柔道部員だった篠田さんが
 庇いながら歩く姿に、いつも私は『影影』を思い浮かべた。
  しかし、篠田さんは『晩国仙果』の刊行を見ずに、前年春に63歳で急逝した。
 『篠田は始終私のやることを見守り、支持してくれた。私の喜ぶ姿を見て喜んで
 くれた彼に今回も喜んでもらおうと願ったのに、』と、師は『はしがき』に淋しい
 気持を記している。・・・
  戦時下の、文学の絆で結ばれた英語教師と教え子の語らいの時を思う。宍道湖
 臨む山陰の古都。二人の前には、ゆたかなポエジーの世界が拡がっていたのだ。」  

「薔薇と月光」というのは、森さんが作者不詳の古詩二編を組み合わせたもので
ありまして、その二編のモチーフが「薔薇」と「月光」なのでした。

 この長谷川さんの文章をよんで「ヘリック詩抄」の原題である「ヘスペリティーズ」の
ことを、森さんが「仙果」と訳していることを知りました。
 先日のこの岩波文庫には、解説のかわりに付録として、森さんの翻訳に関する文章が
収録されていると記しましたが、この「仙果」という言葉へのコメントがあっても
よろしかったか。 
 
 「先生とわたし」というと、「世にいれられない師匠」が「有能な弟子」に嫉妬する
なんて関係を思い浮かべてしそうになる、今日この頃でありますが、もちろん正しくは
「森亮さんと篠田一士」さんの関係のようなものをさしていうと思いたいのでした。
( 篠田さんの最初の著書「邯鄲にて」は、森亮さんに献じられているのです。)