「深夜快読」2

 森まゆみさんは、高校三年生の時の筑摩書房「現代国語」教科書のことをとりあげて
いました。昨日に引用したところでは、「なにも受けを狙っての最新人気作家の作品
など必要ないではないか。」とありましたが、高校三年生の教科書がすぐにでてこない
のですが、この教科書には、昨日に記したような作品が掲載されていたのですが、
森さんがあげていないものでは、大江健三郎さんの評論がありました。「厳粛な
綱渡り」からで、戦後文学」についてのものでした。戦後文学者について、江藤淳かが
「だめになった人たちか」というようなことをいって、それに反論するという内容で
ありましたが、これを読んで「大江健三郎」の「厳粛な綱渡り」というエッセイと評論が
まじった分厚い本を購入したのでした。教科書を手にしたのは、いまから40年ほども
昔のことですが、それから20年くらいは、大江健三郎さんは新刊がでるたびに購入
して読んでいたようにおもいます。いつごろからか、なんとなく疎遠になっていて、
なんともすんなりと文章にはいっていくことができないでいます。これはどうしてで
ありましょう。

 本日の朝日朝刊には、まだ学生であった大江が、夜行列車にのって京都へと
いって深瀬基寛教授の「停年講義」を聴講するために大学の事務局を訪れたときの話です。
深瀬教授の停年講演を聞きたいが資格かがあるかといっても話がつながらずで、
「 困ったあげく、先生の訳されたオーデンの一節から見る前跳べという小説を書いた
ものですというと、部屋のなかでドッと笑い声がおこり、私は赤面して引き下がりました。」 
 事務局員がどっと笑い声をあげたことが、プライド高い新進学生作家である大江さんを
傷つけたということらしいのですが、これだけみると、いかにも事務局員がよろしく
ないように見えてしまいます。本当のところはどうして笑い声をあげたのでしょうね。

  ちょっと探しましたら、高校一年生の現代国語(芥子色)と二年生の青色の表紙の
現代国語の教科書がでてきました。高校の教科書は、授業ではすべての文章をとりあげる
のではありませんで、授業でやったところでは、教科書にそのまま書き込みがされて
いて、どの文章を教材として使用したかすぐにわかるのでした。
 それにしても、高校1年生に「上原専禄」は高級でありますが、それとならんで
 中島健一の「読書の孤独」という文章があります。

 「読書は、いやでも人間を孤独の状態におとしいれるが、共通に読んだ本の話は、
この上もなく人間を親密にする。読書は、実は孤独の道ではなく、友を作る道であり、
肉親や夫婦の絆を固める道である。」

 この教科書で学んで道を踏み外したりしたひとはいなかったのでありましょうか。