だらだらと40年も前の現代国語の教科書を話題にしています。
高校3年の教科書は、昭和42年11月発行となっていますので、2年生の教科書と
同じ発行日です。改訂版となりまして、表紙は2年生と同じデザインで、色違いです。
3年生の教科書 目次は以下のようになります。
1 随想 清光館哀史 柳田国男
2 詩 ギリシャ的叙情詩 西脇順三郎
「ギリシャ的叙情詩」の鑑賞 伊藤信吉
湖水 金子光晴
現代詩について 小野十三郎
3 小説(1) 舞姫 森鴎外
4 文章を書く 訴えたいことをどう描くか 椎名麟三
藤野先生 魯迅 ( 竹内好訳)
5 近代の文章 無常ということ 小林秀雄
戦後文学をどう受けとめたか 大江健三郎
晩年の平井毓太郎先生 松田道雄
6 ノンフィクション ウスリー紀行 アルセーニエフ(長谷川四郎訳)
7 評論(1) 「である」ことと「する」こと 丸山真男
虚像と実像 中村光夫
8 小説(2) 大学生 チェーホフ(池田謙太郎訳)
海の沈黙 ベルコール(河野与一訳)
9 講演 社会生活の合理化 我妻栄
現代日本の開化 夏目漱石
10 ことばと社会 日本語の変化 渡辺実
日本語の話しことばについて 木下順二
11 評論(2) 現代年と日本の伝統 丹下健三
三つの本 臼井吉見
高校3年でありますから、手加減なしでの教材がそろっています。当方が高校生の
頃に、小林秀雄の「無常ということ」は大学入試に採用されることが、極めて多いと
いう文章でありました。これが本当に頭に入らないものでありまして、どうして、
もっとわかるように書くことができないのかと、ぐちの一つもいいたくなりました。
「 この世は無常とは、けっして仏説というようなものではあるまい。それはいつ
いかなる時代でも、人間の置かれる一種の動物的状態である。現代人には、鎌倉時代
のどこかのなま女房ほどにも、無常ということがわかっていない。常なるものを
見失ったからである。」
これが「無常ということ」の最終部分です。頭から文章を読めば、わかるように
なっているのでしょうが、「常なるものを見失う」とはどういうことであるかと、
頭のなかは???となったのであります。