国語の教科書16

 当方の高校三年というのは、68年から69年にかけてであります。
 大江健三郎は、いなかの中学生で14歳の時に花田清輝とであったと記していま
すが、こちらはのんびりとした、刺戟のすくない地方の街でしたので、68年の
学生運動などはまったく遠い世界での出来事でありました。その街には、アメリ
合衆国の軍隊が駐留していましたので、ベトナム戦争の影も、すこしは落としていた
のかもしれません。当時の米軍の艦載機(たしかファントム)などが訓練などのため
に立ちよることがありまして、遠慮なしの騒音をまき散らしていました。飛行機に
くわしい人は、艦載機はすぐにパワーをあげなくては離陸できないので、地上での
騒音も大きくなると教えてくれました。
 68年当時の新宿国際反戦ディでの様子などは新聞、ニュースでみるほか、当時の
朝日ジャーナルでみていたように思います。ほとんどそれに関する本は読んでいない
のでありますが、どうしたわけか「朝日ジャーナル」は見ていたように思います。
スクラップには、朝日ジャーナルからの切り抜きもあったように思います。
 大江の「戦後文学をどう受けとめたか」は、教科書の116ページからであります
ので、これを取り上げたのは二学期にはいるころでしょうか。それより前に一読して
いるように思いますが、学生反乱のつぶては「戦後文学」の面々にもむけられていた
のでありました。
 石原慎太郎からは「だめになった」といわれ、孫のような世代からはナンセンスと
ののしられるのでありますからして、つらい時代でありました。
 大江のこの文章の結語は、次のものです。
「 今、1946年から1952年に至る間の戦後文学を読み返す者の耳には、戦後文学は
幻影だったというような歌は聞こえて来ないはずである。それにしても、文学という、
幻影に深くかかわった実体について議論する際に、幻影ということばそのものを不用意
に用いるのは穏当でないだろう。」